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南出健一の経営放談19
『百編の説教よりも若者に勇気を与えること』

(2006年6月号)

Q.
 私は生鮮 3 品の個人商店から身を起こし、今では首都圏で 50 店舗を構えるほどになりました。 周囲では立志伝中の人としてご評価いただいていますが、義務教育しか受けていないたたき上げです。 無学を補うために時間の許す限り読書をしたり、講演会に参加したりして勉強してきました。 しかし、交際の幅が増えるたびに教養の無さが身に詰まされてなりません。 先般も社内の POS (販売時点情報管理)再構築に当たりシステム会社が主催する 3 泊 4 日の「エグゼクティブ・セミナー」に参加してきました。
 ところが、横文字を交えた専門家の講演はほとんど理解できませんでした。 講義の合間の休憩時間でも参加者との話題に加わることにも気が引け、惨めな思いで帰って来た次第です。 無我夢中で働いてきた自分の人生が一体何だったのか年輪を重ねるたびに空しくなるばかりです。

A.
 難しい生鮮品を取り扱いながら 50 店舗も増やしてきたとは立派なものです。 ご存知の通り、ここ十数年、「中央商店街対策」に国も自治体も躍起になっています。 いくら補助金を注ぎ込んでも華やかなアーケードや道路が文様タイルになるだけで「シャッター街」は増え続けています。 商店街が郊外大規模店に席巻されていくのをアレヨアレヨと見送ってきたツケがこの事態を招いたともいわれています。 それに引き換え、あなたは今日のことを見すえて事業戦略を展開してきたのだとすれば大変な眼力です。
 おそらくその原点は半世紀前、集団就職専用の夜行列車で上野駅に降り立った時、心に決した「誓い」だったのではと思うのです。 使い走りの「丁稚奉公」から血の濠む努力を重ね、何にも替え難い偉大な実績を作りました。 まさに誰が見ても「立志伝中の人」そのものです。
 さて、これから紹介する D 氏もまた板金職人として苦節 40 年、人様には言えない劣等感を味わいながら企業経営者の道を歩んできたのです。
 

10 年で独立、創業 12 年で従業員が 50 人

 D 氏は集団就職組の 1 人として京浜工業地帯の町工場で 10 年働き 25 歳で独立しました。 身に付けた「技」は元手のかからない「へら絞り」加工で中古旋盤 1 台からの起業でした。 かつて下町の工場地帯に生きる人々はお節介焼きとはいえ「持ちつ持たれつ」の集まりでした。 あたかも七軒長屋で肩を寄せ合い助け合う江戸時代庶民の生き様そのものです。 彼も「相互扶助の精神」によって育まれてきたことはいうまでもありません。
 D 氏による不断の努力が実を結び始めます。 実直な言動は得意先や銀行からも評価され、創業から 12 年、自社工場も手に入れて従業員は 50 人に増えました。 同時にアットホームな「下町の町工場」からの脱皮も余儀なくされていきます。 顧問税理士からの紹介で経営幹部を採用し「企業の体裁」を整えました。 現場で油まみれになりながら仕事をすることが生きがいの D 氏は否応なく「孤独な社長業」をやらされる羽目になります。
 彼は毎朝来る経済紙に眼を通すのも億劫でしたが、朝礼での「社長訓話」がある限り疎かにはできませんでした。 それよりも得意先主催の経営者研修会への参加は苦しみ以外の何ものでもなく精魂尽き果てる思いがしたのです。 やがて、外の会合ばかりか、社員たちと顔を会わせることもできなくなりました。
 とある朝、彼は頭痛と吐き気で起き上がれないほどの苦痛に苛まれます。 精密検査でも原因は突き止められず病院のハシゴを繰り返し、結局、心療内科で「対人ストレスによる神経症」と診断されるに至りました。 D 氏は 2 人の幹部と顧問税理士に「社長業はしばし休業する」旨を宣告します。
 それから 1 年、彼はいそいそしながら息子の後輩として数少なくなった定時制高校に通い始めたのです。 周囲には「英語の授業が一番つらい」とこぼしながら白昼堂々、社長室を教室代わりに英和辞書と格闘していたといいます。
 10 年の歳月は瞬く間に過ぎました。 D 氏は某大学経営学部の卒業証書を手にしていました。 それでなくても老けて見える彼の頭髪は真っ白になり、とても 40 代とは思えないほど落ち着き払った「紳士」になっていたのです。

「集団就職の世代」の精一杯生きた道筋

 ずばり申し上げて、あなたは「学歴コンプレックス」ゆえに不屈の精神を燃えたぎらせながら今日を築いてきたのではありませんか。 確かに猫の眼のように変る商売の世界では、業容拡大でつき合う人の質も変ってくるのは当然です。 とはいえ人間、そのたびごとに必ず進化し成長してくるともいえるのです。 当時は、学業優秀でありながら義務教育しか受けられず、あとは働くしかなかった若者が限りなくいた時代でした。 誰もが貧しさゆえに懸命に働き初一念を貫き通したのです。
 自信を持ってください。 こんな世の中でも、あなたたち「集団就職世代」の精一杯生き抜いてきた道筋こそ、百編の説教よりも多くの若者たちに感動と無限の勇気を与えることができるからです。

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