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2007 年。 団塊世代が定年を迎えるに当たり、メディアが特集を組むほど話題になっています。 会社人間の典型のようにいわれ、彼らもまた当然のように一生懸命に働けば定年まで勤め上げられると思い込んでいた節がありました。
IT (情報技術)の世界でも汎用機全盛時代でしたから、電子計算機要員として入社からほとんど 1 ヵ所で過ごした職人世代でもありました。 ですから貴社の同世代の人々も「べテラン中のべテラン」として重宝がられてきたのです。 それでもこの十数年間、繰り返されたリストラの憂き目に遭ったのも大方は彼らの世代でした。 おそらく信じ込んでいた企業とのかかわり合いがこれほど希薄で冷酷なものだったとは想像すらしなかったでしょう。
今日は早期退職した団塊世代が「プレミア付き退職金」をだまし取られながら、家族に支えられ「企業家」への道を行く話を紹介させてください。
E 氏は外資系 IT 企業の部長を最後に「希望退職に応じれば規定の倍近い退職金を支払う」と言われ迷い続けます。 当初、家族会議では女房や子供たちも早期退職に反対していたようです。 彼の「いま辞めれば退職金は倍、引き延ばせば次はない」という一言に、家族は満場一致で賛成することにしました。
連帯保証人になり、あげくに退職金を失う
E 氏は持ち慣れない大金を手にした途端、友人や知人から共同事業の話が次々に持ち込まれたのです。 中でも取引先であった H 社からの携帯コンテンツ事業には強い関心を示しました。 今までの延長線でもあり気安さも手伝い資本金 2000 万円で H 社の子会社を設立することになります。
設立登記では E 氏と H 社の専務が兼務で代表権を持ちましたが、実質的な経営は彼に委ねられることになりました。 とはいえ、銀行との交渉も小切手の扱いも知らない人間が突然、社長になったのですから当惑することばかりでした。
会社設立から 1 年が過ぎようとしたある日、専務から「 H 社の年末資金手当ての連帯保証をしてもらいたい」と打診を受けます。 E 氏は世話になる親会社の要請でもあり、考える暇もなく「二つ返事」で実印を押してしまったのです。 そのころ、興信所から「 H 社の情報」が関係先を飛び交っていました。 彼にとって連帯保証でおのれの首が締められるとは夢にも思わなかったことです。
E 氏は虎の子の退職金を失い子会社は整理されてより所のすべてを失いました。 しかし、世の中とは「捨てる神」と「拾う神」が背中合わせでいるものです。 打ち砕かれた彼の気力を復活させたのはほかでもない、でんと居座っていた「専業主婦」の「開き直り力」と健気な息子の「自己犠牲」でした。 この時初めて、家族とは何ものにも替え難い宝物であることを知ったのです。
それから 3 年、彼はサラリーマン時代の半分の収入でも「退職金の代わりに大切なものが手に入った」と言い、瞳はキラキラ輝いていました。