精密プレス工場 E 社の女性社長 A さんは、 200人の社員や家族の誕生日に季節の花とケーキを贈るきめ細かな心配りを持っている人で、工業団地でも大評判でした。
彼女は大手 IT 企業の管理職でしたが、夫の死去で急遽社長になって 9 年になります。 本人は青天の霹靂だったといっても、人事管理には並々ならぬ自信を持っていました。
とはいえ、製造業のそれも多品種少量のプレス加工については、皆目見当もつきませんでした。 関係者から「モノ作りを勉強しろ」と口酸っばく言われる日々が続きます。
「 1 日も早く社員に一目置かれたい」。 焦る A さんは、自らの存在価値のためには得意の情報システム再構築を手掛けるほかなかったのです。 「業界の一歩先を行く IT の構築が当社の経営戦略だ」と社内方針を高々と掲げ自身を鼓舞しました。
自ら 1 年で手掛けた生産情報システムは、得意先のトップをして「 E 社のシステムを見習え」と社員に号令をかけさせるほど評判になったのです。 おまけに協力企業の研修会講師や得意先プロジェクトの顧問を引き受けるなど、評価されます。
半面、 E 社の社員は A さんが対外的に活躍すればするほど現実離れしたシステムに苦心惨憺するだけでした。 が、誰に何と言われようと彼女の唯一つの拠り所になった「見掛け倒しシステム」は、一時とはいえ得意先と良好な関係を築き、近年にない業績をもたらしたことだけは事実です。
IT 化に積極的な A さんも新規生産設備には減価償却の範囲内でしか投資を認めませんでした。 それでも渋々投資した大型プレスの試運転に入ったころ、担当者から「得意先が東南アジアに工場を移すらしい」との一報を受けます。
はじめのうちは「ガセネタ」の類だろうと思っていた彼女も、得意先の社長室をノックした瞬間、事態は一変します。「 A さん、生産の主力をタイに移す。一緒に来ないか」の一言に立ち眩みを覚えました。 「一体、誰が資金を工面するのか、私にタイへ行けとでも言うのか」。 A さんには冷静な判断ができるはずもありません。「折角のお誘いですが … 」とタイ進出を断わってしまいました。
仕事が激減レ生産設備投資に踏み切るが …
国内の仕事量は激減しました。 いくら情報システムを表看板にしても、お客は「どんな設備を持っているのか」と、聞き返すだけでした。
決算で大きな欠損を出した 2003 年、遅まきながら最新鋭の生産設備投資資金の手当てに奔走することになります。 彼女は「 50 歳で逝った夫が限めしい、彼の生き様がほんの少しだけ判ったわ」と、涙ながらに子供たちに語りかけたといいます。
移り変わりの激しい世の中では流行病のように「濡れ手に粟の方法論」が湧き出てきます。 うっかりすると「文言」が新しいだけの「昔の焼鈍し論法」が平気で閥歩する時代です。 それでも、選んだ側に大方の責任があることは自明です。
あなたは新しいことに飛びつく勇気がありながら「走りながら考える」ことをお忘れになったようです。 工場を持たない製造業で成功している企業も僅かながら増えているのをご存知ですか。 まして、 IT 化も諦め「生産設備投資」だけに拘ってしまっては「先祖返り」も同然です。 ネットワークの進化は企業ばかりか家庭の中まで浸透してきました。 いま諦めたら臍をかみますぞ、「 IT で儲ける仕組み」を考えてみてください。