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お見受けしたところまだ余裕がありそうですね。 その昔、鋼材商売は宝の山を築くとまでいわれていました。 鉄鋼メーカーの傘下に入ることができれば、お家安泰間違いなしともいわれました。
それにしても、これだけ高くなった原油をはじめ諸資材を誰がどこで吸収するというのでしょうか。 あなたが財旨摘の通り、鉄鋼メーカーは「大需要家」に値上げを認させさえすれは大方目標は達成します。 取り残された貴社のような二次問屋と「零細需要家」の中小企業は互いに財布の底を叩きながら値上げ分を背負い込みじっと堪え忍ぶのです。
その犠牲にされた中小企業カ数多あることをお知らせしなければなりません。
E 氏はダンボール工場 D 社を 40 歳で引き継いで 15 年、堅実経営で業績を伸ばしてきました。 ご存知の通り当該産業は高価な設備投資により成り立つ「装置産業」です。 それも売価の大半が材料費ですから打つべき手立ては限られています。
生き残りを賭けて IT 投資を増やす …
E 氏はわずかな可能性を「情報武装」に置き、付加価値の拡大と同業他社への差別化を図ります。 年次によっては設備投資より IT (晴報技術)投資が多い時もあったようです。 その甲斐あってか業界一の EDI (電子データ交換)を構築しメディアの特集番組で放映されたほどでした。
しかし、 2002 年に始まった「原紙高騰」の波は E 氏の「思い入れ」を粉々に打ち砕いてしまいました。 足並みをそろえた大手原紙メーカーから一方的な材料値上げ通知を突きつけられたのです。 中小企業はなす術もなく値上げを飲むか、彼らの軍門に下るか二者択一を迫られます。
最盛期には 3000 社あったダンボール工場の 4 分の 1 近くが、廃業に追い込まれたともいわれています。 これを境に業界再編の嵐は D 社を巻き込み絶体絶命の「苦難の時代」に直面することになったのです。
2003 年、耐え難きを耐えてきた彼も遂に D 社 50 年の歴史で積み上げてきた資産の処分を決意します。 この間、「焼け石に水」とは承知しつつも長年労苦を共にした幹部・社員の給与カットや人員整理を断行しても原紙値上げ分を補うことはできませんでした。 E 氏は眠れぬ日々を重ね、大手資本傘下に置かれた D 社から追い立てられる夢を見続けたともいいます。
資産処分の末、昨年度は何とか黒字転換を果たしました。 が、それも東の間、今年に入り客先からの凄まじい値下げ要求に翻弄されてしまいます。 「拒否すれば直ちに注文打ち切り」に同業者同士の血で血を洗うサバイバルが始まりました。
彼も他社より一銭でも安い見積を出すよう営業に指示しながら、再びおのれの身を裂いて「ただ死期を延ばすだけ」の惨めさに打ち萎れたのです。
「これが国の中小企業施策か!」。 E 氏の吐き捨てた一言には「努力」という文言がこの世に存在しないのではと思わずにいられませんでした。 弱肉強食の時代だからにの程度のことは当然」という「したり顔」の識者が数多いるかも知れません。 ご存知ですか、製品出荷の末端に置かれているとはいえ物流システムはダンボール工場がなければ成り立たないのです。