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南出健一の経営放談13
『元気ない大阪支店 根本原因を考える』

(2005年12月号)

Q.
 私は関西で電機電子部品販売を経営して 30 年になります。 ちようど 1 年前、関東のべンチャー企業から大口受注かあり月 2 回ほど打ち合わせで上京しています。
 ところが最近、関西人と関東人のキヤップを強く感じるようになりました。 客先の購買担当役員と小料理屋で懇談した折、店の味付けに注文を付けたことから言い争いになったのです。 彼は酔った勢いもあったのか、「関西人はコンプレックスが強過ぎる!」と大声で非難したので、私もつい「関東は田舎者の集まりだ」と言い返してやりました。
 それ以来、関西では当たり前のことでも東京との付き合いでは通用しないことかあるのではと気に病んでおります。 私たちは目先のことにとらわれる傾向があります。 しかし、ある点では本音で寸き合いますから関東人のように「ええ格好しい」の見栄張りではありません。
 どうもそこが気に入らないと見え、商談中でも「小さなことに拘わり過ぎて大局観がない」と批判されることがしばしばあります。

A.
 何やら「東西文化史論争」に行き着きそうな気配ですね。 2 カ月前の経済紙でしたか、ある著名人のコラムにこんな記事が出ていました。 「名古屋・福岡は地域に根ざした独自策で発展しているが、大阪は東京の真似をして失敗した。 これは団塊の世代以上の大阪人が持つコンプレックスに起因しているかもしれない」。
 考えて見れば、つい 140 年前まで浪速は日本経済の中心だったことはご承知の通りです。 全国の米相場や北前船が持ち込む海産物をはじめ大方の消費財は、ここに集積し大消費地の江戸に供給していたのです。 恐らく、あなたのご先祖も「わてらが江戸を養っとるんや」という自負の念が強かっただろうことは容易に想像できます。
 特に中世前期、商人が仕切った自由都市「堺」の躍動感溢れる発展は当時のべネチアやフイレンツェをしのぐとまでいわれ日本社会経済史に輝く 1 ページを飾ったのです。 日本人にとって、いや大阪人にとって、今もこの優越感は血となり肉となっていることだけは間違いなさそうです。
 とはいえ、歴史の移り変わりとは皮肉なものです。 いくら盤石な経済力であっても強大な軍事力を前にした時、彼らは権力者にひたすら恭順の意を表しおもねるだけになっていくのです。 やがて、その時代の栄耀栄華だけカ語り草となり、いつ日か「昔の大阪は … 」が耽詞になってしまったということでしょうか。
 今回は、東西の地域差が商売にいかほどの影響があるのか、考えます。

5 年間関西で一度も黒字化せず

  P 社は食品販売の拡大策として関西に拠点を置いて 5 年、その間、一度も黒字になったことはありませんでした。 東京の業績が順調なこともあり「もうしばらく様子を見よう」というのが幹部の一致した意見でした。 大阪支店長からの月次報告でも常套句のように「大阪向け商品の開発状況が業績改善に直結する」というものばかり。 P 社社長の A 氏も地元責任者のその一言に、つい気を許し瞬く間に年月が過ぎてしまったのです。
  とある日、彼のパソコン画面に見覚えのないメールアドレスがあるのに気づきます。 「支店長は事あるごとに『東京から押し付けられたものは売れない。東京の言いなりになるな 』 といっています。 これでは業績カ致善に向かうとは思えません … 」と切々と訴える直訴状に、彼は立ち煉みました。
  昨年末、 A 氏は大阪支店の 50 人を前に「ここまで赤字を垂れ流した原因は何か。  なぜ東京からのコラボレーション提案を受け入れないのか」と語気を強めて問い詰めました。 それでも「大阪と東京では商売のやり方カ違います」を繰り返す支店長の常務を別室に連れ込み、「君、一体、何年同じこと言っているんだ!もう、顔も見たくない」と罵倒してしまったのです。
  彼は内心(もしかしたら、これは文化の違いからくる齟齬なのかもしれない)と本気で考えずにはいられなかったといいます。 彼らがいう「大阪には大阪のやり方がある」とは具体的に何を指しているのか問い続けましたが、当を得た答えは得られませんでした。 A 氏はその場で大阪からの撤退も致し方ないと意を決することになります。 支店閉鎖の条件として「全員東京勤務」にする旨申し渡しましたが、転勤希望者は 4 一 5 人にとどまりました。
  時々、関西の友人と一杯やることがあります。 気を許し合える仲間ということもありましょう、互いにエキサイトしてくると必ずといっていいほど「売り言葉に買い言葉」になります。 「大阪で生まれた大企業の本社は全部東京に持っていかれた」から始まり「アンタも日本人だろ。なぜ、大阪、大阪ばかり言うんだ」で切り返す始末。
  その内、「畿内文化」が日本の歴史の中心であると力説し、それに比べ「関東」は野蛮極まりない「東夷」の巣窟だったではないか … とまでエンドレスな議論が続くことになるのです。

大局観を持って本音でつき合えば解決

 電子ネットワークが世界中に張り巡らされ「いつでもどこでも」大概の情報が手に入る世の中になってきました。 が、こんなに進化して来ても実のところ昔から今に至るまで人間の本性はさして変化していないのかもしれません。
 1 億 2000 万の人 々 がそれぞれ違った顔形であるように異なった生立ちの歴史を持っているとすれば、いくら溢れんばかりの情報があっても「根っ子」のところまで同じ視点に立つことはあり得ないということでしょう。
 あなたは関東とのビジネスで気に病んでおられるようです。 ありきたりな言い方をすれば「大局観を持って本音で付き合う」ことさえできれば「東西の気質の違い」などたちどころに承知し合えるのではと思うのですが。

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