さて、日本海の城下町で歴史的な暖簾を 300 年守り続け「日本の銘菓」と 謳われた老舗の S 社が激年前、数十億円の負債を抱え破綻しました。
様々な理由があったにせよ「ぬえ」のような伝統に縛られていたことも一因になったのではと、考えています。 全国に知れ渡っていた S 社の 22 代目を継いだ O 社長は地方名士としての品格を備え、どこから見ても貴公子然とした風格です。 伝統を重んじてきた町の雰囲気にこれほどピッタリとはまる人物も稀有なことでした。 ですから、周囲は彼を放っておくはずもありません、あらゆる場に担ぎ出そうと画策するのは当然のことです。
本人も政治の世界にはことのほか「色気」を示し一時その気になったこともあったという話です。 そんな O 氏でも社長就任以来、連綿と番頭の手に委ねられていた S 社の実権を「大政奉還」させるべくまなじりを結して改革に取り組んでいたのです。 彼らは日常茶飯事に起こっていたクレームも「些細なことに大店の主が口出しすべきでない、それが 300 年の伝統だ」とうそぶいていました。 ですから O 氏は業界の会合や非公式の場で自社のことを耳にする有様だったといいます。
いくら「大店の若旦那」と言われようとこれだけ揺れ動く時代に「よきに計らえ」で済むはずもありません。 焦る O 氏が対策会議を招集しても逃げ回ってしまう幹部が後を絶たず、大番頭の専務にいたっては「私に任せてください」の一点張りにホトホト手を焼いていました。
顧問会計士からは「このままでは評判は落ちる一方、財務的にも厳しい」と緊急対策を促されていたのです。 O 氏は遠回りだとは承知しつつも「グレーゾーン」になっていた「顧客情報管理システム」を外部ブレーンの手を借りて再構築します。 半ば番頭たちが避けてきた領域でもあり大した抵抗はないはずでしたが、現場は使いこなそうとはしませんでした。
彼が期待した「大政奉還」へのキッカケにはならなかったのです。 ほかにも形骸化していた予算制度やりん議制度の見直しに着手します。 しかし、時既に遅く、だれの眼から見ても破たんの際にあることは明らかでした。
伝統の何を捨て、何を残すか
1996 年の暮れ、債権者会議の席上「 S 社 300 年の灯は消せない」との大口債権者の発言に 0 氏は込み上げてくる涙を拭おうとはしませんでした。
S 社再生に与えられた 7 年間は伝統にこびり付いた「ぬえ」を取り除くに十分な年月になりました。 苦渋の時間だったとはいえ、名士の自尊心をかなぐり捨てた O 氏の開き直りは多くの可能性を生み出すことになります。
そして、今を生き抜く活力にみなぎった O 氏は何を捨て何を後世に残すべきか、この 7 年の歳月から学び取りました。
老舗が強いのは伝統の継承にあるといわれています。 なぜなら何代にもわたる先人たちが繰り返してきたトライ&エラーの積み重ねがあったからです。 人間の「喉もと過ぎれば暑さを忘れる」という御し難い習性を戒め続けたからこそ、数百年前の「家訓」が今も脈々と生き続けているのです。
血を絶やさず事業を継承させたいというあなたの思いは痛いほどわかりますが、だれしも自分を取り巻く歴史や伝統に関心を持つまで相当な年月がかかります。 あなたには頼りなげに見えても第三者の評価が高いのであればあながち間違っていないかもしれません。
余計なお節介を承知のうえでお伝えしておきます。 行く末、 2 人のご子息が跡目を巡って争いを起こさないかと考えないことのほうが心配です。