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南出健一の経営放談11
『外資トップだったら突然の解雇にめげるな』
(2005年10月号)
Q.
IT (情報技術)機器販売日本法人の代表として 2 年になります。 本部は世界有数のコングロマリットですが、当該事業部門は不振のため競合他社に身売りするような噂が頻繁に飛び交っています。
私はこれまでも当社を入れて外資系企業 6 社を転 々 としてきました。 契約社会で働いてきたとはいえ 60 歳を過ぎると正直なところ転職そのものが不安でなりません。
若い頃、米国で MBA (経営学修士)を取得し何事も実力本位のビジネス世界への憧れと日本では得られない高収入に魅力を持ったものです。 30 代で一戸建ての家も確保できレべルの高い生活をエンジョイしてきました。
4 〜 5 年で外資を渡り歩く内に仕事のノウハウも身につき世間で言う「恐怖の金曜日」も怖いとは感じませんでした。 しかし、この歳になると本部との英語のやり取りでさえウンザリするようになりました。 まだリタイヤするには早過ぎるし、何とか精神的にも安定した生活をしたいものだと痛感しております。
A.
「実入り」も多い代わりにいつ放り出されても文句を言えないのが「渡世人稼業の宿命」と突っ放しては話が前に進みませんね。 いったん外資で働くと日本の企業に転職できないのは分かるような気がします。
現地法人の社長ともなれば中小企業経営者の 2 倍を超す年収になるようです。 おまけに運転手付き専用車や高級マンションまであてがう企業もあるやに聞いています。
雇用契約が厳しいとはいえ、お金の威力は絶大です。 いまや勘定高い若者たちが雲霞のごとく外資系企業に押し寄せ門前列をなしているとか。
一時期、大企業では悪の権化とまでいわれた「終身雇用」「年功序列」 の「くびき」を断つため年俸制、成果主義導入に踏み切り、果ては表看板まで「 CEO (最高経営責任者)、 COO (最高業務執行責任者)」に書き換えたほどです。 しかし近年、その猿真似も思いのほか効果がなかったとみえ、かつての「 CEO たち」は次々表舞台から引きずり下ろされています。
さて、今回は一時の業績悪化をたてに突如雇用契約を破棄され、地団駄を踏んで晦しがっていた外資系製造業の CEO の顛末をご紹介します。
3 倍近い年俸と敷地 200 坪の邸宅
T 氏は 3 年前、外資に買収された電子部品メーカー J 社の社長にスカウトされました。 彼は技術屋として電子部品業界から高く評価され定年退職後も引く手数多だったようです。
しかし、ウエットな日本企業のシガラミには辞易としていたので J 社からの誘いには何の抵抗もなかったといいます。 さしもの T 氏も J 社から提示された処遇には驚くばかりでした。 執行役員当時の 3 倍近い年俸と地方への単身赴任用借り上げ社宅は敷地 200 坪( 1 坪は 3 . 3 u)の邸宅が提供されたのです。 表向き雇用契約は短期でしたが、自動更新できることなど相当な優遇条件でした。
T 氏は「ここまで期待されているとは」と感激し心ひそかに「第 2 次燃焼」に向け闘志をみなぎらせました。 社長就任時の方針として品質向上とリードタイム短縮を掲げ、 3 カ月間の調査期間を設け着々と体制を整えました。
その初期段階で彼が碍意とする業務改善活動から入ろうとした矢先、極東支配人から「待った」のメールが来ました。 T 氏は直接、米国本社の CEO から励まされていたし「今頃になって何を寝ぼけたことを言っているんだ!」と無視することにします。
2 年を待たずして彼の施策は見事的中し業績は大幅黒字になり本社からお祝いのメッセージが届くほどでした。 J 社の全員に特別ボーナスを手渡す T 氏は「皆さん、よく頑張ってくれた」と眼を潤ませながら深謝したのです。
世の東西を問わず企業の栄枯盛衰は付きもの、 J 社もせっかく過去の累損を消し黒字を積み上けたものの 2004 年度は赤字決算を余儀なくされました。 彼も業績悪化を予測し設備投資を抑え社員の一部を整理しましたが、得意先の急激な生産調整には追いつかなかったようです。
ほどなく極東支配人が来日、「今更、言い訳を聞いても意味がない」と辞任届にサインするよう迫ったのです。 T 氏は「りん議書方式」に慣れきった企業部落から外資系 J 社に来て「眼から鱗が落ちる」思いがしたのはトップの権限でした。 が、彼は最後まで「孤高の独裁者」にはなり切れなかったようです。
上り調子の時には「稟議方式」の全員参加は極めて効果的ですが、「下り坂」ではそうはいきません。 緊急時ともなれば「目先の業績」のための独断専行こそが絶対要件になるのです。 どうやら本社幹部は T 氏を「意志冷徹な経営管理者」とは評価しませんでした。
もはや日本人の様には戻れない
「松のことは松に習え」を地で行っていたはずの優良外資もバブル崩壊以降、目先を追いかける昔のスタイルに戻ってしまった所が多くなっています。
また、鐘や太鼓の鳴り物入りで「日本進出」した欧州のスーパーも瞬く間に撤退することになりました。 それも「市場が違い過ぎた」との理由からです。表向き同じ顔をしている資本主義であっても、そこに生きづいている歴史的文化的な違いまで変えることができない証でもあったのです。
「資本主義の真髄」を学んだあなたも「日本人」に戻りたいのですね。 日系 2 世の友人もメールアドレスを「 nihondaisuki 」に変え心情日本人になりました。
しかし、あなたは外資一筋の人間、今更、安寧を願った生活を求めても致し方ありません。 キャリアからすればまだまだ高く売れますよ。 ご存知でしょ、米国ファンドが買収し招聴した銀行の経営者は当年 74 歳ですよ。