大手システムべンダーのシステムエンジニア( SE )だった K 氏は 40 歳の時、兄の経営する IT (情報技術)システム開発の P 社に取締役として招聴されました。
彼らの両親は「況弟は他人の始まり、同じ会社の中で仲違いでもしたら収拾カ肘かない」と心配しても、兄弟は口をそろえて「親バカの取り越し苦労」と一蹴してしまいます。
P 社は 300人のプログラマーを官公庁や大企業に出す「派遣業」。 社長は常日頃、自嘲的に「俺は口入れ手配師だ」と言って憚りませんでした。
本社とは名ばかりでデスクにいるのは総務・経理担当者 3〜4 人でしたから、社長にとって「本物のシステム開発企業」が創業以来の祈願でした。 ですから、弟である K 氏を「企業再生の要」として迎え入れたわけです。
彼も嘱望された前職を投げ打っての転進でしたから、その意気込みたるや大変なもので社員には「次期社長含み」の印象を与えるほどの勢いだったようです。 社長も K 氏が寝食を惜しんで働く姿を目の当たりにして「あいつは子供の頃から 1 つのことに熱中するとすごい!」と周囲に洩らしていたほどでした。
K 氏不断の 5 年間は見事に結実し「社内開発型システムハウス」として独り立ちできるまでになりました。 いまや、彼は社員やお得意先からもその実力を評価され P 社の名実ともに「中興の祖」になっていたのです。
とある日、彼は入社以来はじめて社長から飲み屋に誘われ、その席で「息子を当社に入れる。一人前に鍛えてくれ」と告げられます。 彼も赤ん坊の時から可愛がった「甥」でもあり、さして気にも留めませんでした。