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南出健一の経営放談4
『現場では優秀なのに役員になると“無能”に』
(2005年3月号)
Q.
今日まで事業を継続できたのも、私のガムシャラともいうべきな思い入れがあったからだと自負していますし、周囲の人たちも異口同音に「その通りだ」といってくれます。
私は25歳のとき砥石(といし)成形工場を立ち上げ25年になりますが、おかげさまで業界でも認められる企業に成長しました。貧乏時代からともに苦労してくれた2人の生え抜きの支えが当社発展の礎になったことも事実です。彼らにまともな給与を払えるようになるまで4年近くもかかりましたが、よく我慢をしてくれたものだといまだに感謝している次第です。
ところが4年前、2人の功に労い取締役に昇格させたのが失敗でした。彼らときたら仕事もせず机にふんぞり返って社員をあごで使う状態になりました。何度か厳しく叱りましたが、一向に改善の兆しは見えず困り果てています。
社内では「ナンニモ専務」と陰口をささやかれ、見過ごすことはできなくなりました。顧問弁護士は「最後は株主総会で決めることだ」と悠長なことを言っています。どうすればいいでしょうか。
A.
創業者にとって苦難の時期を支えてくれた人々の存在なくして「今」を語れないほど重いものです。それほど大切な生え抜き幹部がいつの間にか「企業の重荷」どころか「企業のガン」になってしまうのはどうしたことでしょう。
なぜか私には下克上の時代、勇者の名を欲しいままにしてきた戦国武将たちの運命的な立場に似ているように思えてなりません。やがて安寧の時代が到来すれば、見捨てられていく己と知りながら如何ともしがたい「生き様」をひきずりながら滅びいく悲劇は歴史の裏側に幾多も埋もれています。
いつの世でも修羅場を生き抜いた人間は重宝がられているうちに、場当たり的な格闘性能だけが習い性になることが多いようです。彼らは時の流れとともに融通の利かない頑固者として世間から爪弾きされてしまいます。
それゆえ、何だかんだ理屈を付け「カメレオン」のように世の移り変わりを瞬時に嗅ぎ取る変わり身の早い人間だけがやけに持てはやされることになるのです。
もっとも中小企業の立場からいえば「変化への即応力」こそが最大の強みであることを考えればあながち否定できないかもしれませんが…。
さて、今回は叩き上げの幹部が「役立たずのダラ(しない)幹(部)」に成り下がり、遂に「泣いて馬食を切った」1人の経営者の内面に触れてみます。
役員に引き上げた途端、豹変した
E氏は半導体部品の地方工場を全幅の信頼をおく「生え抜きの常務」に任せてから半年たちます。しかし、彼の業績報告はつじつまの合わない内容が多くその都度注意しましたが、本人は「単純な間違い」というのでその場は納めてきました。
ある日、工場から出張してきた総務部長から「社長、現場を早く見に来たほうがいいですよ」と意味深な声を掛けられて妙な胸騒ぎを覚えたのです。E氏は3カ月振りに工場を訪れましたが、あまりのよどんだ雰囲気に「以前とは様子が違ってきたが何かあったのかね」と傍らの常務の顔をのぞき込みました。
社長を囲んでの工場幹部懇談会も白々しさが漂うなかで何時とはなく三々五々散って行きます。翌日、E氏は常務を外した席に数人の幹部を集め「一体、この有様は何だ!」と問い質すや、彼らは口をそろえて「あの人と一緒に仕事はできません」とまで言い切ったのです。あれだけ信頼していた男がここまで蔑(さげす)まされているのかと思うとE氏は次いで出す言葉すら失ってしまいました。
苦楽をともに三十数年、誠実であったがゆえに社長の片腕として常務にまで引き上げたつもりです。それが自分の側を離れた途端、なぜか豹変し専横的で働かない「無能者」になったのか、E氏にはどうしても理解できなかったのです。
後日、彼は常務を本社に呼び出し「僕は君を信頼していた、なぜだ」と静かに問い掛けても黙して語らず、ただうな垂れるだけでした。E氏は悲痛な面持ちで常務に即時「社長付」にする旨申し渡したのですが、1週間後、1通の封書だけが社長室の机の片隅に置かれていたといいます。
中小企業では現場でいかに「優れた人材」でも管理職や役員に引き上げた途端、駄目になるケースは数限りあります。それでも経営者はこの「大きな落とし穴」を知りつつ「論功行賞」として経営陣に加えるのです。
すると彼らは事業が発展し働く環境が大きく変化するたびに「不適応症候群」に陥っていきます。そして自分の無能さを知りつつも惨めな状況に置かれたことだけが怨念として残り「最近の社長は人を大事にしなくなった」とひたすらボヤクことになります。
事業立ち上げ当初は何事によらずわずかな人手で取り組まなければなりません。経営者にとって汗水垂らす「何でも屋」こそ「得難い価値」であり便利この上ない存在と評価します。その彼らは単純明快だった得意分野から切り離されてしまうと、「歌を忘れたカナリヤ」同然になるのです。
経営者にも反省すべき点あり
どうでしょう、あなた自身に思い当たる節はありませんか。貴社の2人も現場で格闘することが生きがいだったのに、別世界の複雑化した業務には身の処し方すらわからなくなったのです。だから取締役になった瞬間、「上位者意識」だけで「あごで人を使う」ことを思いついたわけです。
「功ある者に碌を、能ある者に位を」。戦国の世を生き抜いた徳川家康は数多の武将たちの行く末を冷静に見定めながら「未来永劫の支配体制」に想いをいたしたであろうことを、一度振り返って見る必要があります。