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南出健一の経営放談3
『あなたならどうする?有能な社員が突然退社』
(2005年2月号)
Q.
手塩に掛けて育てた若手幹部が突然「退職願」を持ってきたのには愕然としました。私は飲食店のチェーン展開をはじめて10年になりますが、ここ数年の業績は頭打ちになっています。対応策として彼が提案してくれた新しい店舗展開の立ち上げを任せることにした矢先のことでした。
彼は企画力、実行力とも抜群であり50人いる本部スタッフの中で際立っていました。今までも「新規事業」には全権を持たせてきましたし、業界でもトップ級の待遇を与えてきました。
共同経営者から「給料が高すぎる」とクレームを付けられたこともありましたが、当社にとって掛替えのない人材であり取り合うつもりもありませんでした。ただ、6カ月ほど前の幹部社員懇談会の席上でした。めずらしく酔っ払った彼が「俺がやらなければ何も前に進まないのはトップが無能だからだ」とあたり構わず大声で喚き散らしたことがありました。さすがの私もむっときましたが、ストレスが溜まってのことだろうとその場を納めたのです。
今ごろ「あれは退職への予兆だったのか」と気づいた自分の鈍感さと彼の裏切りが交差して、何ともやりきれない無念さを払拭しようもありません。
A.
「親の心、子知らず」とでもいいましょうか、あなたの彼に対する思い入れが相当強かっただけにショックは大きかったのでしょうね。
言わずもがなではありますが、昔から「企業は人なり」といわれながら21世紀の代になっても「人の問題」で翻弄され続ける企業が後を絶ちません。そこには雇う側と雇われる側の飽くなき相克の歴史が続いているからです。
その「弱み」を見越した「人材育成セミナー」や「人事管理書籍」が数多出回っていますが、改めて耳をそばだてる中身とは程遠いものです。おそらくセミナー参加者も「気休め」程度で聞いているのではないでしょうか。
しかも、企業の姿形も異なり働く人々も十人十色では基本的にお互いが「価値を共有化」することなどしょせん無理なのかもしれません。
考えても見てください。長年連れ添った夫婦ですら「金の切れ目が縁の切れ目」とばかり世間知らずの亭主が定年退職して「濡れ落葉」になった途端、そそくさと見切りを付ける「女房族」が後を絶たないとか。利害相反する者同士が一つ屋根の下で生きて行くには、理屈にならない妥協を重ねながら「共存共栄の術」を模索しなければならないということです。
さて、今回は日常茶飯事に起こる人の問題に嫌気が差し、居抜きで会社を丸ごと売り払おうとした1人の経営者をご紹介しましょう。
「お前は次期社長だぞ!」
O氏は父親が興した設備メンテナンス業のJ社を引き継いで40年、製鉄メーカーの圧延設備修理の専門業者として「鉄は国家なり」といわれた時代から高炉閉鎖の大リストラまで浮き沈みの激しい時代を掻い潜ってきました。
ご存知だとは思いますが、大型設備の修理とは「3K」の典型であり、この国の若者は決して近寄ろうとはしなかった業種です。「力仕事、汚れ仕事、危険仕事」は、J社の中高年社員や外国人が受け持たざるを得ませんでした。それでも32歳で「取締役工務部長」の、人の手当から工程進ちょく管理まで独楽鼠のように走り回る孤軍奮闘振りに、O氏は「俺の跡継ぎだ」と心密かに決めていたといいます。
とある朝、工務部長の細君から「体調不良で休む」との一報が入りましたが、O氏は「疲労が溜まったんだろう」程度でさして気にも留めませんでした。
3日後、出社した彼はO氏と顔を合わせるなり「これから先も、こんな仕事をやって行くと思うとゾッとする」と言うなり辞表を叩き付けたのです。
O氏は目の前が真っ白になり意識が薄れてくる自分を支えようと壁に寄りかかりながら「お前は次期社長だぞ!」と言葉にならない呻きを発しました。
「突発性脳軟化症」で1カ月の病床にあった彼はJ社を居抜きで売ることを決意。ひとまず客先の製鉄メーカーに「社長含み」での人材派遣を打診しながら併行して取引銀行にも買い手先の斡旋と仲介を依頼したのです。
銀行からは「債務を帳消しにするのであれば引き受けてもいい」という虫のいい話が持ち込まれました。O氏はこれから先、女房と2人で慎ましやかな生活が出来ればそれ以上は望まないと考えていました。が、この条件では明日から路頭に迷うこと必定であり、とても乗れる話ではありませんでした。
しかたなく客先から斡旋された役職定年間際の人材を受け入れることにします。結局、事業継続することにしたO氏はこれから先、何年「社長業」が務まるだろうか何の自信もありませんでした。「俺たちにはハッピーリタイアメントという言葉はないな」と1人寂しく呟くしかなかったのです。
行く末は惨めな裏切りに
これはと思う有能な社員を我が子以上に「慈しみ育て上げた」つもりが突如として反旗を翻されたり、「三行半」を突きつけられたりするケースは枚挙に暇がないほどあります。私たち経営者の一方的で浅はかな思い込みの為せる煩悩なのでしょうか。
それでも「有能な社員」が己や企業に忠誠を誓ってくれることを「希っている」と口にした途端、時代感覚がずれていると一笑に付されそうです。とはいえ、人間とは身勝手なもので自分のことを棚に上げて他人に求めることだけが「肥大化」するものです。
それゆえ懲りもせず「今度こそは、今度こそは」と「労使」共々互いに期待をかけながら、その行く末は惨めな裏切りにあってしまうのです。
どうでしょう、こんな「人間模様」を経験できるのも「経営者」ゆえの“特権”だと思えば、多少なりとも大らかな気持ちになれるかもしれませんね。