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南出健一の経営放談1
『欧米企業の「ものまね」だけは、絶対にやめよう』
(2004年12月号)
Q.
「あるべき経営者像」とはいっても、その時代背景に強く影響されます。特にこの10年間は「グローバル化」の名の下に、「旧い産業と旧い経営者」が指弾され、70過ぎの私など随分と肩身の狭い思いをしました。
ところが、「旧い」重厚長大産業が元気を取り戻した途端、評論家やマスコミがこぞって烙印を押したはずの企業や経営者を絶賛するとはあきれ返ります。もっとも、IT(情報技術)バブルであれだけ持てはやしたベンチャー企業が跡形もなく消え失せたとなれば致し方ないということでしょうか。それにしても、「21世紀型経営者像」の見本であった米ゼネラル・エレクトリック(GE)元会長のジャック・ウェルチ氏でさえ「コケ」にされている昨今の世情に「もう、いい加減にしてください」と苦言を呈したいのです。
ただし誤解をしないでください。私は来年、倅(せがれ)に代表権を持たせて第一線から身を引くつもりです。が、このままでは何とも釈然としません。せめてもの慰みに溜りに溜まった「イタチの最後っ屁」を心地よく発射させてください。
A.
いやはや、全く同感です。
時々、どこかのビジネス誌でエスタブリッシュな企業経営者を見本にしながら「旧い経営者」を炙(あぶ)り出す特集にお目にかかることがあります。世の経営者諸氏もこの手の記事がたいそう気になるとみえ、友人・知人なども「この基準で自己評価すると俺は経営者失格だよ」とぼやくことしきり。経営の「ケの字」も知らない若い編集者が岡目八目でかき集めたアンケートごときに「戦々恐々するな」と尻を蹴飛ばしてやりたいぐらいです。
日本的が悪、欧米化が善だった
さて、欧米企業の上面なビジネス手法を先取りした経営者が時代の寵児のように持てはやされる背景には「文明開化の御世」から綿々と続いてきた「欧米崇拝主義」の影が見え隠れします。とかく国家や産業が上り調子のときは「ヤマト民族は大したものだ」と自画自賛ですが、一度「左前」になろうものなら必ずといっていいほど「日本システム」のダメさ加減が俎上に載ります。
ついこの間まで「日本的」であることが「悪」であり「欧米化」することが「善」であるかのような徒(ただ)ならぬ気配が国全体に充満していました。ですから、多くの経営者は「その轍(わだち)から抜け出すことがお前の責任だ」と煽(あお)られ本気で悩んだことすらあります。
確かに「日本の常識は世界の非常識」といわれるのも事実です。一時期、その「非常識」をあげつらい「国民総ざんげ」のあげく自信喪失に陥り、身動きできなくなったのです。
欧米に迎合しない経営者
しかし、欧米の取引先を相手に「世界の非常識こそ日本文化の特徴だ」と居直り続けた「誇り高き」中小企業経営者もいたのです。多少なりとも、あなたの留飲を下げられればと思い彼の半生をご紹介します。
Y氏は大学の助手でしたが、指導教授の「お前はバカだ」の一言で「金属研究室」を飛び出し1975年、貴金属系溶接材料のL社を奥さんと2人で立ち上げました。当時は「国産品」は見向きもされなかった時代です。彼は欧州の輸入品で見様見真似の製品を作り、伝を頼って大企業への「はしごセールス」に精を出します。しかし、だれが出所(でどころ)も分からない材料に関心を示すでしょうか、行く先々で門前払いされるのが落ちでした。
瀬戸際に追い込まれたY氏は日本での販売をあきらめ、なけなしの金と製品サンプルを手に米国へ旅立ちます。彼は当地でも日本でやってきた「どぶ板商法」そのまま、訪問先を電話帳で探し出し「夜討ち朝駆け」で押しかけたのです。流石(さすが)、関心を持てば相手がだれであれ応じてくれるのがこの国のしなやかさです。
覚束ない和製英語で製品特性を説明しサンプルを置いてくるやり方でデトロイト周辺の工場を駆け巡りました。3カ月間の「米国行商」で仕入れた情報を参考に製品開発に取り組み、再び訪米することを繰り返しました。
親せき縁者からの借金も尽きたころ、飛び上がるようなファクスが舞い込んで来たのです。何とエンジン部品メーカーからの「採用する」との朗報ではありませんか。それも「価格さえ折り合えば来年分を契約したい」というのです。彼は奥さんの肩を抱きかかえて嗚咽したといいます。
Y氏夫妻は初出荷直後、持ち切れないほどの「お土産」を抱え飛行機に乗り込みました。出迎えてくれた部品メーカーの副社長は「日本から売り込みがくるが、アナタの様な人は初めてだ」と苦笑しながら彼の手を握りました。Y氏の「日本のことしか知りません。何か間違っていたでしょうか」との言葉に「Yさんがハッピーであればそれでいいのです」と答えたそうです。
あれから30年、L社は欧米との事業を基に当該業界での地位を築きました。Y氏は幹部に向かって「国家であれ事業であれ浮き沈みはつきもの。そのたびごとに右往左往して外国の物まねをするな」といい続けてきました。
あなたの「居直り」こそ必要
私たちは「八百万の神」のおかげか、キリスト教やイスラム教国家とは違い何でも飲み込む「うわばみ的」な歴史と文化に育まれてきました。ちなみに江戸時代の仏教は「今日は真言宗、明日は浄土真宗」と平気で宗旨を替えたのです。つまり、法典の解釈次第で右にも左にもなる「融通無碍」さは欧米や中近東の人々には考えられないことです。
だから釈迦力になって欧米に迎合しようと努力しても、しょせん「不可解な民族」で終わってしまうのは自明の理。だとすれば、アナタの「もう、いい加減にしろ!」という居直りこそが「今の日本人」に必要なのです。