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中小企業応援隊・失敗を乗り越えて 最終回
『六十半ばで起業するも元部下の冷たい仕打ち』

(2004年11月号)

 「そろそろ世代交代のお年ですな」
 65歳を過ぎた途端、身辺の「ご親切な人々」から「直言」を賜り恐縮している今日この頃です。当人にしてみれば「余計なお節介、まだまだこれからだ!」と抗弁したいのが本音のところですが…。
 確かに反射神経も瞬発力も衰えているのは紛れもない事実。それでも最近とみに先を見透かす「神通力」だけは冴えに冴え「これ以上、深入りすると失敗するぞ」の「予言もどき」がほとんど的中するから困ったものです。

63歳で念願の起業

 大手電機メーカーの執行役員を2期勤め上げた63歳のH氏は2002年、念願かなって情報システム開発のZ社を立ち上げました。もっとも彼の奥さんは「今さら、目に見えるような苦労を好き好んでしなくてもいいのに…」と引き止めた様でしたが「第2の人生を邪魔するな」とばかり意に介さなかったようです。
 自宅にほど近い郊外沿線の駅前に小さなオフィスを構えたあたりは「さすが分別盛りの中高年」と会社のOB連中から褒められたり羨ましがられたりだったとか。
 元同僚や部下から「出資させてくれ」、そして「収入に拘らない。ぜひ働きたい」との申し出を受け、5人のOBを「株主兼新入社員」として採用することにしました。ここにH氏を含め平均年齢62歳の「ソフトハウス」を旗揚げすることになります。その直後からどこで耳にしたのか、めざといマスコミから引きも切らず取材攻勢を受けることになりました。
 H氏は電機メーカー入社以来40年間、情報システムの設計にかかわり、退任直前まで情報家電プロジェクトの総括責任者として研究開発を指揮してきた業界でも名うての技術屋でした。彼は時として大企業で見受けられる「理論先行型」とは一味違い、顧客にとって「使い勝手のいいシステムとは何か」を足で追いかけることこそ「情報家電開発の決め手だ」という実践派でした。
 本人はといえば休日返上で家電店街に通い詰め、顧客が何を求めているのか自分の目で確かめることを常日頃心がけていたといいます。ですから、当然のように部下たちには彼流の「現場主義」を徹底して教育してきました。
 それだけにH氏の「自分の考え方、やり方は多くの顧客に支持されて当然」という強烈な自負心があったようです。Z社の設立趣意書にも、その思いのほとばしりを書き連ねてあったほどです。5人の新入社員にしても彼の指導よろしきをえた心許せる「H氏の信奉者」であり「仲間」でもあったのです。
 Z社の初仕事はH氏が電機メーカー在任中に予算超過寸前で「プロジェクト崩れ」になりかけていた「白物」の遠距離操作システムを「丸受け」することでした。元部下のプロジェクトリーダーもH氏に面倒を見てもらえるなら「渡りに舟」とばかり、ホクホク顔で丸投げ発注に同意します。
 開業早々、20坪足らずのオフィスに開発機器や仕様書が山のように持ち込まれ人の居場所もないほどになりました。とても「中高年の隠居仕事」とは思えないほど活気に満ち溢れ、前途洋洋の気配さえ垣間見えたのです。
 H氏以下5人にとっては手馴れたプロジェクトであり、それを引き継いた気軽さもあり「人手さえあれば6カ月で納入できる」と踏んでいたようです。
 ただH氏にとって気懸(きが)かりになっていたのは先方の指値で受注したことです。それでも「俺の可愛がっていた部下が仕切っている。いざとなれば面倒を見る」という安心感も手伝ってか、いつしか彼の頭から消え去ってしまいました。  6人の英知の賜物といえましょう、納期10日前にZ社の提案した最新仕様でメーカー立ち会いのスルーテストも難なく合格し仮検収をもらえるところまで漕ぎ着けたのです。彼らにしてみれば創業半年にして3000万円の売り上げを計上したわけですから天にも昇る思いだったでしょう。

大成功のはずが、初年度は赤字に

 早速、駅前の小料理屋での打ち上げ会で込み上げる喜びを抑えながら「一緒に仕事ができてこんな幸せはない」というH氏の挨拶あいさつに5人の仲間はうなずき合いながら杯を傾けました。
 それから1カ月、プロジェクトリーダーから「ハードの設計変更があったので直してほしい。ただし改修費は出せない」という連絡がきたのです。H氏は最も忠実なはずの「元部下」の一言にあ然とし、「おい!お前、気は確かか?」「ハイ、大丈夫です。H社長、開発予算がないのは先刻ご存知のはず…」ここまで言われては返す言葉すらなく全身から力が抜けました。
 結局、改修費をそっくり抱え込まされたおかげで1年目の決算は700万円の赤字になったのです。彼には「プロジェクト崩れ」を救済するのだから面倒はみて当然と考えていたようです。また「厄介者」を始末すれば再び「業界有数の技術屋としての評価」が期待できるという思惑もありました。大成功のはずの「打ち上げ会」は一瞬の糠(ぬか)喜びで終わったのです。
 憤まんやるかたないH氏でしたが「寝食を忘れ会社のために」尽くしてきた40年間は一体なんだったのか、空しさだけが込み上げてきました。それにもまして、手塩にかけて育ててきた元部下たちからの「冷たいあしらい」には言いようのない衝撃を受けたのです。
 彼は「これでは有象無象の下請けと何も変わらないではないか。もう身内の仕事はやめるぞ」と呟(つぶや)きました。
 最近、大企業を卒業した中高年の方々が仲間を集めて事業を興すケースをよく聞きます。大変喜ばしいことですが、一言申し上げるならば商売の世界とは「見てくれ」だけで成り立たない複雑怪奇なものなのです。
 有能だといわれてきたビジネスマンほど「会社の看板」と自分の「実力」を取り違えてしまうのは何とも口惜しいことです。とはいえ、「創業」を目指すのは一人若者だけに与えられた特権でないこともまた事実なのです。

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