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中小企業応援隊・失敗を乗り越えて 第4回
『難航するIT再構築古い慣習が壁に』

(2004年9月号)

 「やっぱり、ウチの食品事業部にIT(情報技術)は向かなかった」。I氏のウンザリした表情でぼやいた一言に妙な引っ掛かりを感じました。
 多くの経営者は常日頃、絶え間なく起こるトラブルの要因を承知しながらも、いざ手を着けようとすると「そんなはずではなかった」ことが多いようです。表から見ればささいな出来事でも「根っ子」を掘り起こすと「自らが築いてきた歴史を否定しなければならない局面」にぶち当たることがあるからでしょう。
 個性的な経営者であればあるほど、その「生き様」が善いにつけ悪いにつけ「企業文化」となってしまうものです。それも業績が「上げ潮」の時は何事によらず「痘痕(あばた)もえくぼ」であり、多少のことは気に留めなくても済んでしまいます。が、一旦「秋風」が吹き始めると寝静まっていたはずの「悪しきもの」が一気に頭をもたげ厄介極まりない事態になるのです。
 I氏は、欧米企業相手にある業種に特化した貿易商社、K社を起こして30余年、その堅実な業績は経済誌に取り上げられることもしばしばです。これも個性豊かなI氏の「動物的きゅう覚」のたまものであるとは自他ともに認めるところです。

IT再構築を息子に託すが…

 そのI氏でもよわい60歳になって、いよいよ事業継承を真剣に考え始めました。お決まりのコースとはいえ、大手IT企業エリートで海外要員だった息子を次期社長候補として迎え入れることになります。最近のI氏は人の顔さえ見れば「俺たちの時代は終わったよ」が口をついて出るようになりました。
 そんなことを言いながらも息子にこのままバトンタッチするには気が引けると見え、ひとまず問題山積だった食品事業部の情報化見直しに着手させることになります。つまり、ヨーロッパから輸入した「生ハム」をスライスし十数g単位で販売するシステムにメスを入れようというのです。
 それまで、問屋やスーパーからの多品種少量化傾向にある注文にはホトホト手を焼いていました。とにかく「猫の目」のように変わる包装仕様の対応には、その場しのぎの人海戦術で「逃げる」以外、手の打ちようがなかったようです。
 この業界は一種特有の「商習慣」がありノーマルなビジネス感覚が通じるほど生易しい世界ではありません。通常の取引でも「口頭注文」は当り前、1円たりとも集金に行かないと支払わないことが平気でまかり通っていました。
 ですから、社員は「姿形」を業界習慣にフィットさせ、さほどのわだかまりも持たず商売に精を出していたのです。それにしても豊かな国際感覚の持ち主であるI氏をして、よくもこれほどドロドロした食肉業界の中で確固たる実績を築いたのもだと今さらながら感心するばかりです。
 そのI氏が、何事も一筋縄ではいかない業界と、これに慣れ親しんだ社員を相手に、食品事業部のIT再構築を息子に託すことになります。
 大企業では「当り前」のことでも、中小企業には通じないことが多々あります。「ビジネスの王道」を身に付けた息子は、K社の「たくましさ」と「いい加減さ」を1人背負って想像に絶する苦行の日々を続けていくことになります。
 システムベンダー触れ込みの「業界一のパッケージ・ソフト」を改修すること6カ月、どうにか先が見えるまで3カ月も要しました。しかも、品目マスターは登録の最中でもひっきりなしの変更が続き、当初の登録内容は跡形もなく消え失せました。その間、I氏は息子の要請で増員したIT担当者の残業代はうなぎ上りになっているのを横目にイライラが募る一方でした。

社長に食ってかかる息子

 10カ月目のとある日、社長室で直立不動の息子に「一体、どうなっているんだ!」I氏は当り構わず大声で「動くまで残りの金は出さないぞ」と申し渡しました。息子も黙ってはいません、事細かに分析した資料を片手に「社長、今の仕事のやり方を変えない限りこれ以上は無理です」と食ってかかります。
 I氏は「大手が手を出せない多品種少量品を商売にしたからこそ今日のK社があるんだ」とは言い返したが、自分が歩んできた三十数年が走馬灯のように蘇えってきました。社員には無意識のうちに「商売のやり方」を「強制」をしてきた功罪に思いをいたさずにはいられなかったのです。
 長い歴史をかけて出来上がった文化であろうと時代の変遷とともに「変わるべくして変わる」ことが企業に課せられた「義務」かもしれません。しかし、そう簡単に人間の「思い入れ」を払拭出来るものでしょうか。I氏は息子に「今後、IT化を成功させるための全権をお前に任せる」と言うのが精一杯でした。
 経営者の皆さん、創業当初を思い起こしてみてください。四六時中「今日の糧を手に入れるために」駆けずり回っていました。どんな仕事でもいいから「稼ぐこと」だけで血眼になっていたのです。あげくの果てに不渡りをつかまされ、泣くに泣けない思いを味わったことは1度や2度ではなかったはずです。
 こんな状態を何年も続ければ。ほかのことまで頭が回らなくなるのは当然です。
 これでは格好のいい「経営理念」など欠片ほどもあろうはずもないのです。
 おまけに「おやじ」がわき目も振らず走り回われば、「忠実」を絵に描いたような番頭たちは見様見真似で追い掛け、何時の間にか「上っ面」だけ見事なほどの「コピーおやじ」が出来上がってしまうのです。それゆえ、彼らの矜持(きょうじ)とするところは「おやじと苦楽を共にしてきた」ことだけになってしまいます。
 つまり「家業」が「社業」に進化してきても「働き蜂たち」の意識や見識は創業当時そのままなのです。ましてや「次世代」にバトンタッチしようとしたとき、「おやじ」に忠実なはずの彼らは手の平を返したような「面従服背(めんじゅうふくはい)の徒」と化してまいます。やがて経営者はおのれが築いてきた「罪深き無意識の企業文化」に「ほぞ」を噛むことになるのです。

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