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中小企業応援隊・失敗を乗り越えて 第1回
『創業者が社長に復帰し10億円のERPを動かす』

(2004年6月号)

 B社の新聞記事のせいでしょうか、多くの取引先は「新システムが動き出せば、メチャクチャな発注は無くなるだろう」と期待をしていたようです。B社は2000年3月、かの「世界に冠たるERP(統合基幹業務システム)」導入を決めたのです。
 数年前、上場を果たしたB社は社員1000人の特殊医療機器メーカーでした。医療機器業界でつとに有名になったのは電子部品をふんだんに使って機器の小型化・軽量化に成功したことです。ところが、表向きの華やかさに比べてB社内部は年がら年中ゴタゴタ続きで幹部の出入りはかなり激しいものでした。
 急速な事業拡大をした企業にありがちな現象ともいえます。が、創業30周年を迎えようとしている企業にしては、いささか度が過ぎるようです。社長M氏の強引な性格と人の好き嫌いが激しいこともあったようですが、それよりもっと根深い仕掛けが渦巻いていたのです。取締役が任期途中で解任されることもしばしばあり、これでよく上場審査をクリアしたものだと専らのうわさになっていました。上場幹事会社になった某証券会社の責任者は「業績抜群であるから問題なし」とさして気にする様子もなかったようです。

大手企業の営業部長から転身

 M氏は大手企業の営業部長でしたが12年前、B社の創業者にほれ込まれ三顧の礼をもって迎えられたのです。彼は「目から鼻に抜ける」シャープな切れ味が身上で、瞬く間に実績を上げ「天下取り」を成し遂げました。この間、M氏に利用され足げにされた社員は数知れず、彼の周りは死屍累々でした。そのころ、「狸爺」と評判の創業会長は人の顔さえ見れば「どうだ、当社の社長人事は当たっただろう」と胸を張っていたといいます。
 創業者がM氏を招へいした狙いは人心一新と株式上場にあったと思われます。生抜きの幹部を一網打尽に「粛清」したやり口を見ても創業者の後ろ盾がなければできなかったはずです。つまり、M氏を矢面に立てて「社内大掃除」と「上場体制」を作らせたということでしょうか。

新システムが華々しくスタート

 さて、M氏の「人材のスクラップ・アンド・ビルド」が始まって間もなく彼の知人が常務として入社してきました。それと期を一にするかのように「かのERP」導入を決めて、大々的に専門誌と新聞に発表したのです。「人心一新」した組織はそのコンセプトに合わせるかのように大きく組み替えられていきます。
 そして、年商300億円のB社としては過分とも思える10億円のIT(情報技術)投資を決めたのです。ベンダーから新進気鋭のシステムエンジニア(SE)10人が張りつき、B社の20人を加え、「新統合情報管理システム」構築チームが華々しくスタートしました。
 さすがM氏の「お眼鏡」に適った常務はメリハリのある陣頭指揮でシステム構築は急ピッチで進められます。この舟に乗り遅れまいとする管理者たちは部下の尻をたたいてシステム要件の詰めに首っ丈になってしまいました。その間、日常業務は等閑に付し、納期遅れや不良が頻発する有り様になったのです。
 2002年10月、B社のERPシステムはM社長のテープカットに始まる稼働開始式典でカットオーバーします。M氏は常務の手を握り「よくぞ2年半でここまで漕ぎ着けてくれた!」と感慨無量でほめたたえたといいます。
 ほどなく取引先との懇親会の席上、創業者会長は妙なことを小耳にはさむことになります。「ひどいシステムだね。納期が過ぎた発注ばかりくるよ」

正常に稼働せず、本業はガタガタに

 常務はM氏から「システムはうまく稼働しているの?」と問われ「予定通り」と答えはしたものの、妙に引っかかり社内外を聞き回ったのです。驚いたことに社内の管理者と取引先の言うことがまるで正反対ではありませんか。B社の発注担当は新システムに手を焼き「手書き」で臨時オーダーを出している始末。とても正常に稼働しているどころの話ではありませんでした。その影響か本業はガタガタになり売り上げは著しく低迷してしまいました。
 2003年5月の株主総会でM氏と常務は赤字決算の責任を問われ退任、創業者が会長兼務のまま社長に復帰したのです。「雇われ社長」が大株主で実力創業者の「手の内」を読み取るのは並大抵なことではないのです。M氏は所詮「血刀」を振り回した千両役者に過ぎなかったといえます。
 「新社長」は直ちに「消化不良のERP」をモノにする策をろうしはじめます。ベンダーから出向している2人のSEを「あと1年で効果を出す」ことを絶対条件に破格の待遇でスカウトしました。今一度業務を洗い出させ「世界一のERP」に沿う「仕事のやり方」に変えるよう指示します。
 ビジネスの世界で人をけ落としても初志を貫き通すとは意志強固な人間として高く評価されています。B社の創業者はそれを「間接手法」によって成し遂げたとはいえ、人間のどろどろした本性が丸見えの後味の悪い結末でした。
 かつて企業に忠誠を誓い「殿のご馬前に死す」覚悟こそ、出世するサラリーマンの「理想的な姿」といわれた時代がありました。経営者も「滅私奉公」の社員を誇りにもし「いざ、鎌倉!」という時、敢然と立ち向かうことを彼らに期待していました。今でも口にこそしませんが「そういう人間が1人でもいればな…」とひそかな思いを抱いている経営者が数多くいるのをご存知ですか。
 もし、この思いをかなえるのであれば多くの人々を魅了する経営者でなければなりません。そこには自己責任をキッチリ果たしているかどうかが問われます。自分に都合の悪いことをひた隠しに隠し、他人に責任を擦り付ける風潮を一刻も早く断ち切るべきです。同時に経営者は「私」を捨てでも難関に対峙し得る「勇者」を育てられなかったことに思いを馳せなければならないはずです。

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