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中小企業応援隊・失敗の学舎 第11回
『所詮は御神輿社長親会社頼みも限界に』

(2004年4月号)

 昔から「他人の褌(ふんどし)で相撲を取る」とは、自分の手を汚さない卑しい人間のやることと疎まれてきました。本人にその気がなくても時代の流れや周囲の動向により、いつの間にか「下司な人間」になってしまうこともあるのです。
 自動車用電装部品を生産するT社は創業以来、国内有数の電動機メーカーの専業下請企業として取り引きしてきました。社長のS氏は親会社の管理職でしたが20年前、担当していた事業部の改廃により致し方なく設備から社員まで丸ごと引き継いでT社を創立しました。その当時のS氏を知る人々は「リスクを背負った創業者の心意気は微塵(みじん)もない」と見ていたようです。
 どんな条件であれ、まだ「作れば売れた」時代。事業を起こしたS氏は資金繰りに苦労した訳でもなく、親会社の指図通りに動いていればよかったのです。
 しかも、親会社からの移管部品が他機種に転用されるに及んで、借工場はたちまち手狭になり東北地方に自前の工場を建設しました。合わせて、親会社でリース切れになった「古式豊かなMRP(資材所要量計画)システム」をただ同然で譲り受けたのです。
 S氏は、この代物が、部品単体加工のT社には「帯に短し襷(たすき)に長し」であり使い物にならないことは重々承知していました。おまけに事業拡大を理由に親会社の定年前の幹部10数人も受け入れ、さながらT社は姥(うば)捨てならぬ「爺(じじ)捨て山」の様相を呈していたといいます。
 「親の言うことを聞く良い子」に徹することが彼にとってのリスク回避だったのかもしれません。何から何まで「親掛かり」でありながら、自分の実力でT社を立ち上げたという「鼻持ちならぬ自信」だけが身に付いてきました。ですから、彼は短期間でサラリーマン時代の3倍を超す収入を懐にして「中小企業は経営者次第だ」とうそぶいていたとか。
 S氏は創業経営者とはいえ親会社の事業分割に乗った「お神輿社長」であり、「人の褌で相撲を取らせてもらった」だけだったのです。艱難辛苦を乗り越えてきた「つわもの」とは違い、時代の変化を見定める力も適応力もありませんでした。おまけに親会社とその関連企業だけに首までどっぷり浸かっていたツケは、やがて企業存亡にかかわる事態になります。

親会社の本社に駆け込むが…

 2000年、親会社のリストラが本格化し再び事業の整理統合が始まりました。当然のように下請け企業の部品引き揚げから手が付けられ、T社にも厳しい要求が突き付けられたのです。
 S氏は当初「うちの会社は特別。お付き合い程度の引き揚げ」と高を括(くく)っていたようでしたが、その要求はT社生産量の30%というものでした。彼は仰天し親会社の本社に駈け込みました。かつて後輩だった購買担当役員をつかまえて怒鳴り散らしたのは言うまでもありません。
 「いい加減にしろ! うちの会社は100%子会社だ。今までお前の指示通り何でも受け入れてきたじゃないか」  「S社長、もう当社は丸抱えで人様の面倒を見るような状況にはないのです」
 お互いの空しいやり取りだけが会議室に響き、刻々と時間が過ぎて行きました。
 気を取り直したS氏は「押っ取り刀」で穴埋めする受注活動を始めましたが、おいそれと成約できません。それでもダンピングまがいの見積もりをばらまいたお陰で数カ月後にはほかの電動機メーカーから仮オーダーをもらうことが出来ました。
 その際、CADで製作図面を送るから検討してほしいと言われたのです。T社にはCADどころか10数年前の「払い下げMRP一式」があるだけでした。S氏はとっさの閃きで親会社のシステム室にCADデータの転送依頼を思いついたのです。たとえ苦肉の策だとしても競合相手の親会社にデータを送れとは恐れ入ったものです。彼は親会社に忠実であるかの様に見せて、その実、利用出来るものはとことん利用しようと考えたのです。
 お粗末極まりないS氏の「他力本願式」営業活動の結末は、もはや事細かにご報告するまでもないでしょう。

自己犠牲を避けたツケ

 「何事にも最初が肝心」とはよく言ったものです。いったん「濡れ手に粟」の思いをするとその味を忘れられないのが人間の業かもしれません。それにしてもS氏はその場限りの機転だけでよくぞここまで生き永らえてきたものです。
 常日頃、中小企業経営者が口にする「おれたちは砂上の楼閣にいる」とは、今日が安泰でも明日は奈落の底に突き落とされるかもしれないという恐怖を言い表しています。また、経営者とは積み木崩しのような立場に置かれているからこそ悩み苦しみ、少しでも「堅実な企業」にしたいと努めているのです。
 事業継承した若き経営者は「はじめて銀行の個人保証に実印を押した時、身の毛が立つ思いがした」といいます。「本物の経営者」として自ら持つすべてを企業に託す第一歩だからです。
 ひとたび業績が悪化しようものなら、即座に自らの給与を返上します。この辺が大企業の「サラリーマン社長」との決定的な違いです。「創業者」でありながらS氏が避け通した「自己犠牲」こそが「窮すれば通ずる」世界を築くことにもなります。
 こんな偉そうなことを言っても、中小企業経営者の「心安らかになれる」時は1日たりともないと言っていいでしょう。だからこそ「一生で何回もスリルとサスペンスが味わえられるのだ」と開き直りたくもなるのです。ついでに「自分の弱み」を他人に見せないのも「経営者の胆力だ」と強がらせてください。
 この国の金融システムは間接金融と個人保証により肥大化してきました。一時、市場から資金調達が出来る仕組みが主流になるかのようにいわれましたが、相も変わらず「物的担保」を要求され続けています。いつになったら「新しい皮袋に新しい酒」を入れる日が来るのやら…。

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