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中小企業応援隊・失敗の学舎 第10回
『バランス重視の長男、異端の次男を追放』

(2004年3月号)

 「このシステムは確かに当社の業務にマッチしている。だけど、どこの馬の骨だかわからない企業に注文できると思いますか?」――私たち日本人の大企業への「ブランド崇拝病」は相変わらずですね。
 S社は自動車・電子向けゴム成形部品メーカーの老舗であり、名門企業として業界を引っ張るリーダー的な存在でした。欧米との技術提携をはじめ東南アジアへの進出で、たびたびメディアで取り上げられるほどの発展をしてきました。
 2001年、創業者の父親は2代目社長を長男のM氏に、副社長を次男に据えて何はさておき悠々自適の境に入る矢先だったと聞き及んでいます。
 S社は創業以来40年、技術開発に重点を置き、加硫ゴムでは常に同業他社を凌駕し、バブル崩壊後も臆するどころか拡大の一途をたどりました。加えて、創業者の敵を作らない温厚な性格は得意先や行政機関から高く評価され、数え切れないほどの役職を申し付かっていたようです。これほど恵まれた経営者は極めて稀有な存在だったといえましょう。

堅実だが、頼りない2代目社長

 2代目のM氏は世界的な自動車メーカーの技術者として20年間勤務しS社に入社しました。彼もまた父親譲りのバランス感覚に優れた堅実な言動ゆえ、社内外を問わず一度として悶着を起こしたことはなかったのです。得意先からもニックネームで呼ばれるほど誰の目から見ても当たり障りのない「社長候補」でした。されど創業者にとって「頼りない2代目」だったのかもしれません。
 それに引き換え、次男坊の副社長は八方破れの性格が災いしてか大学を中退した揚げ句、世界各地を流浪して実家とは10年も音信不通でした。やっとのことで父親は、南米のへき地にいた次男坊を強引に連れ戻しS社の工場に放り込んだのです。
 とはいえ、勝手気ままな「世界浮浪」を味わった者にとって世間や企業の「決め事」に縛られた生活は想像に絶する苦痛だったようです。無断欠勤はいうに及ばず、所在不明になることもしばしばでした。

現場リーダーに変身した次男

 ところが、「角をためられた牛」が精力のはけ口を他に求めるがごとく、次男坊は職場結婚を境に現場のリーダーに変身しはじめるのです。
 常々、父親は2人の息子を足して2で割る性格であればと考えていた節があり、次男坊の「成長」はこの上ない喜びでした。しかし、持って生まれた性格はいずれ本性を現すものです。社長のM氏が最も忌み嫌ったのは副社長のモノごとにとらわれない性格であり、やがて彼の存在そのものが目障りになってくるのです。
 東南アジア工場との受発注情報ネットワーク構築が差し迫った2002年、副社長が自らその責任者を買って出ました。部品メーカーでは先進的なJNXによるEDI(電子データ交換)の導入を進めることにしたのです。M氏としてはS社の生命線ともいうべき全社の情報ネットワークを副社長に任せるべきか否か、相当悩んだようです。が、寝食忘れて取り組む姿を目の当たりにしてむげに否定する訳にもいかず、その成り行きをハラハラしながら見守ることにしました。
 案の定、副社長が編成したプロジェクトチームは「理屈よりも体を動かすことを厭わない」実務者が中心であり、管理者は数人でした。M氏はこの編成に危惧を持ち、何度か管理者を加えるよう指示しましたが、そんなことを配慮する気配もなく「我が道を行く」ありさまだったのです。
 その後、3カ月でシステム要件をまとめ上げ、ベンダー選定に入り数社から見積もりを取りました。さしもの副社長も5億円を超す見積金額でしたから、M氏に稟議書を上げて審議事項に付したのです。
 しかし、付せんに「発注予定先」を書き込むことを忘れませんでした。1週間後、役員会でのM氏の態度は副社長を威圧するかのように「こんな零細企業に5億円もの仕事が出来る訳ないでしょう!」と言下に発注先を却下しました。
 副社長を除く全役員も「社長の仰せはごもっとも」とばかり一斉にうなずくばかり。この瞬間、副社長は南米アマゾン奥地の小さな街角を行き交う人々を思い描いていたといいます。創業者の「人格円満」がS社を発展させてきたのは誰しも認めるところですが、2代目のM氏もまた「異端者」を受け入れるDNAを持ち合わせていませんでした。実にもったいない「大うつけもの」を排除してしまったのです。
 かねがね「日本は異質な者を受け入れなければ、いずれ国家そのものが衰退していくだろう」とは欧米の賢人たちの打ち鳴らしてきた警鐘です。現状維持することは許されないと知りつつも、単一民族の悲しさからか「事を構える」人間は秩序を乱すものとして世間の片隅に追いやられるのが今の姿です。

既存の体制を否定してこそ再生あり

 中小企業の再生とは「既存の体制」を否定することから始まると思います。ましてや、2代目を継承した「若き棟りょう」であれば創業者の価値は価値として認めつつも体制変革の急先鋒に立ってしかるべきです。そうしたM氏を含め、野人的な若者が日に日に少なくなるのは悲しむべきことです。
 S社の創業者にしても時代の変化に鋭敏であれば副社長を見殺しにはしなかったはずです。混沌とした「平成維新」であればこそ、M氏は「番頭役」に、次男坊は社長に据え、思い切り自由闊達な企業社会を作らせるべきだったのです。
 この国の構造を変え得るのは政治家でも官僚でもなく、何事も即決で意志決定できる中小企業のオーナー経営者群のはずです。その当事者が「御身大切」に徹してきたことが今の日本を衰退させてしまったともいえるのです。
 経営者の皆さん、IT(情報技術)を企業変革の道具にしようとするならば、自らを否定することが「再生への道」だと信じ込んでいただきたいのです。

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