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中小企業応援隊・失敗の学舎 第9回
『親ばかが生んだ悲劇博士社長の独り相撲』

(2004年2月号)

 「お上」がいくら景気が回復してきていると声高にのたまわっても、多くの中小企業には何の実感もわいてきません。大企業の、それも自動車や電子産業の一部業種による景況指標が一人歩きしているように見えるのは私だけでしょうか。「石橋をたたいても渡らない」中小企業ばかりが目立つ昨今ですが、本気で設備やIT(情報技術)の投資に踏み切るのはいつのことやら…。
 「リースが終わってホッとした。当分、IT投資はやらないよ」とは、建設機械の車軸部品を生産するT社の社長F氏の一言です。
 F氏は2代目の技術屋社長ですが、就任して10年の間に2回のIT投資をしてきました。それも300人の社員を抱えていながら、自ら陣頭指揮どころかシステムの運営管理まで委細なことまで目を光らさねば気が済まない「病的偏執狂性向」がありました。
 この性格ゆえに、学生時代から友人らしい友人はほとんどいなかったようです。本人も随分寂しい思いをしたようでしたが、T社の社長だった父親から常々「友達がいなくても気にするな。お前は俺の後継ぎだ。我が道を行け」と、何とも世離れした励ましを受けました。F氏親子を知る人々の間には「オヤジがオヤジならセガレもセガレだよ」という白けた雰囲気が蔓延しており、誰一人として積極的に彼らと接しようとはしませんでした。
 そんなF氏が国立大学の博士課程を修了後、何のちゅうちょもなくT社の取締役技術部長として入社したのです。社内では相当な動揺があったことを耳にしましたが、同業他社と比べて給与水準が高かったのか退職者は出ませんでした。
 始末が悪いことに、たたき上げの父親の屈折した学歴コンプレックスは「ウチのセガレは国立大の博士号を持っているから優秀だ!」と言わしめたほどです。事あるごとに同業者との酒席で辺り構わず息子の自慢話を吹聴するに及んで、その「親ばか」ぶりが今でも語り草になっています。

IT再構築に取り組むが…

 さて、F氏が入社していの一番の仕事はITの再構築でした。それも現場作業者1人当りの生産性を即時に把握する「POPシステム」(ポイント・オブ・プロダクション)の導入だったのです。
 それでなくても「面従腹背」の強い作業者を相手のシステムでしたから、彼1人ではいかんともし難く、社長であった父親の「虎の威を借りて」の着手でした。父親は現場の班長を前に「技術部長がやると言っているのだから協力しない奴はすぐに辞めてもらうぞ!」とまで言い放ったのです。ここまで脅されては誰一人として抗弁することもかなわず、ただただ頭を垂れ、息を潜めるだけだったのです。
 F氏の「お遊び」はものの見事に失敗しました。現場から来るデータはどれもこれもメチャクチャな数値であり、彼はその都度、責任者を呼び付け「どうしてだ!どうしてだ!」と粘着テープのようなしつこさで責め立てるのです。こうなると、まともな人間であれば無断欠勤して転職先を探しに行くことになろうというものです。
 それから6年、唯一頼りにしていた父親が急逝しF氏は32歳の若さで社長に就任しました。今や誰の手も借りられず、自らの決断と行動でT社を切り盛りしなければならない立場に追いやられたのです。
 やがて、強がりと虚勢の権化となった彼は、2回目のIT再構築に取り掛かることになります。親会社の建設機械メーカーのEDI(電子データ交換)導入に伴なうネットワーク構築により、システムの全面見直しを迫られたからです。
 F氏の病的なこだわりはシステムのあちこちにも極端な形で頭をもたげてきました。データのトリプルチェックは言うに及ばず、在庫データと実在庫に至っては全件合致するまで徹夜も辞さないやり方でした。それもすべて自分の目で確かめなければ満足しなかったのです。幹部クラスの面従腹背も「表向きはお愛想尽し、裏に回って舌を出す」こと甚だしく、とても正常な企業とは言い難い有り様でした。

まさに「お笑いの世界」そのもの

 読者の皆さん、いかがでしょう。2代目博士社長と幹部との人間不信がおりなす人間模様は「お笑いの世界」そのものに見えませんか。F氏は親の育て方が間違っていたのでしょうか、それとも「先天的偏執狂」だったのでしょうか。働く社員たちにとっては迷惑千万この上ない限りです。とはいえオーナー企業、それも技術屋経営者には多かれ少なかれこの傾向は否めないようです。
 日本人は持って生まれた体質なのか、淡白な性格が人々に好かれ逆に粘着質な性格は嫌われます。反面、悪しき組織の習性をたたき直すには「偏執狂的」な人材がいなければ何事も中途半端で終わってしまうのも事実です。
 「トヨタ生産方式」にしても一夜にして出来上がったわけではありません。「偏執狂」たちが50年以上の歳月と汗と血の滲にじむような積み重ねによって世界に冠たる生産管理システムを構築してきたのです。それも「日々新たな変革」が今日も綿々と続いているのですから見上げたものです。
 大阪商人の歴史をひも解くと「中世の自由民」から発展したため、彼らは大名にも寺院にも隷属しなかったといわれています。つまり、「長屋の虎さん、熊さん」相手の商売でしたから「これでもか、これでもか」という偏執狂的な精神がなければ成り立たない厳しい世界だったのです。
 かたや、江戸の御用商人は徳川幕藩政権の官僚や江戸屋敷の大名たちに擦り寄って、賄賂や鼻薬を効かせて政略的な商売をしてきました。官僚や大名にとって淡白な商売こそ、この上なく重宝だったといわれています。
 講談でみる「大岡政談」でも諦め損に分がある裁きの「名判官」ぶりに拍手喝采ですが、どこぞの首相がいみじくも「三方一両損」のセリフで世にも不思議な法律を通したとは、まさに淡白さのなかにうごめく「闇取引」そのものを象徴しているのではと思うのですが…。

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