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中小企業応援隊・失敗の学舎 第8回
『後継社長に嫉妬し会社乗っ取られた男』

(2004年1月号)

 後継者難と言われる中小企業でも経営者の世代交代が進んできました。しかし、その内情は平和裏な交代劇ばかりではありません。業績のいい企業ほど、一度事業継承問題でこじれると収拾がつかなくなることがあります。
 中小企業の場合、表沙汰にこそならないものの、身内同士の抗争は一族郎党を巻き込み血で血を洗う結果にさえなるのです。どうも人間、欲得が絡んでくると教科書通りの「格好いい政権譲渡」とはいかないようです。

「俺こそキリストの再来だ」

 今回はオーナー経営者N氏がぞっこんほれ込んで連れてきた「後継社長」に寝首をかかれるという、泣くに泣けないケースを紹介します。IT(情報技術)投資案件を巡る感情的なもつれから後継社長と対立。ついには、後継社長から社内外の株主への多数派工作を仕掛けられ、あっという間に追放の憂き目に遭ってしまったのです。
 彼は1980年代後半、米国発の「アウトプレースメント(退職者の再就職支援)ビジネス」を日本に持ち込んだ第一人者でした。もっとも、当時としては馴染みの薄いこともあり、立ち上げてから10年ほどは泣かず飛ばずで外資系企業相手に細々とした商売だったようです。
 N氏は米国でロイヤルティーを手に入れたとき、私に耳打ちした神をも恐れぬ一言は今でも脳裏に焼き付いています。  「これは打ちのめされた人々を救済するビジネス。俺こそキリストの再来だ」
 彼自身、20年にわたる米国生活で受けた様々な差別や外資系企業での度重なる失業体験、そしてその惨めさを嫌というほど味わったからこそ出た言葉だったのでしょう。まだそのころの日本ではとても商売になるとは思えなかっただけに、本人も相当思い入れを持たない限り成り立たないことは承知していたのです。
 N氏は会社設立時に資金すら事欠く有り様でしたから、都心にほど近いとはいえ築40年の「お化けマンション」の一室に廃棄処分場から机や椅子などの備品類を拾い集めてD社を立ち上げました。10年後、そのビジネスが一世を風靡するとは当の本人も考えていなかったようです。
 ところが、N氏にとって千載一遇の機会が到来することになります。バブル崩壊の衝撃は日本全体を覆い、一斉に大企業のリストラが始まりました。D社にとっての「美味しい商売」は息つく暇もないほど大繁盛したのです。それを機にメディアは一斉にアウトプレースメント・ビジネスを取り上げ、N氏をニュービジネスの開拓者として褒めたたえました。

評判の男を後継社長に指名するが…

 反面、50代後半になった彼の大きな悩みは事業継承者がいないことでした。3年間で10人は下らない人材を外資系からスカウトしてきても、1年はおろか数カ月で消え去ってしまうのです。N氏の冷徹な考え方や仕事のやり方についていける人間を探し出すのは至難の技では、と思うことがしばしばありました。
 それでも苦労の甲斐があってか、外資系の現役社長で「生き馬の目を抜く男」と評判の人材を確保し、1997年に後継社長を誕生させたのです。
 大した努力もなしで業績は倍増し、D社は見る見るうちに膨れ上がりました。世間や株主はこぞって新社長の実績として評価したのですが、N氏はそれを実力とは認めませんでした。やがて、IT投資案件を巡って決定的に対立することになります。
 事業拡大策の一環として顧客情報システムとネットワーク化に3億円を投資することが役員会で決まったのですが、IT嫌いのN氏には声さえ掛けなかったのです。彼は怒りに身を震るわせながら社員の居並ぶ前で、「誰のお陰で社長になったと思っているんだ!」と怒鳴りつけ、社長専決事項であるにもかかわらず、「IT投資は認めない」と宣言してしまいました。その直後から後継社長の地下深く潜行しながらの「N氏排斥運動」が画策されていくのです。
 N氏が気づいたときには、時すでに遅く株主多数派工作は終わっていました。
 こうした内紛は面白おかしくメディアで取り上げられ世間の関心を呼びますが、表にこそ出ないものの事業継承抗争劇は数限りあります。
 それにしてもN氏ともあろう逸材が自分の「お眼鏡」にかなった後継社長のやることなすことに苛立ち、なぜここまで事態をこじらせてしまったのでしょうか。恐らく、N氏は「忠実な後継社長」であり続けることを期待していたのでしょう。ところが、有能で小才の効く男であれば形だけとはいえ代表権を手にした途端、権力奪取に向け全力疾走するものです。その本質も見抜けず「院政」を敷こうとしたところにN氏の悲劇があったと言えます。
 一方、オーナー経営者は自分の持てる全知全能を賭けて事業を発展させてきたがゆえに、この世に生ある限り権力に固執するのは当然のことです。
 しかし、公器としての企業のあり方からすれば、過半数の株主は後継社長に任せておくほうが得策だと判断した以上、N氏は静かに去るべきだったのです。

必要なのは「変幻自在の大きな度量」

 我々の世代は若い頃から先輩諸氏に「立つ鳥、あとを濁さず」「大器は晩節を汚さず」とも言い聞かされながら、わき目も振らず仕事だけに生き甲斐を求めました。半ば米国人のN氏をして「俺の会社」と言わしめたことから見てもお分りいただけるでしょう。成功すればなおさらのこと、素直に「ハッピーリタイア」を受け入ることは難しいのです。なぜなら、おのれの身の処し方に「次の一手」を持ち合わせていないからです。
 今、N氏や我々の世代にとって身につまされる思いとは、自ら心豊かにする術を失ってしまっていることです。だとすれば、どんな状況に置かれようとも人間の「大きな度量」こそが今の時代に最も求められている必須条件なのかもしれません。

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