オーパシステムエンジニアリング
会社情報

 

一覧に戻る

中小企業応援隊・失敗の学舎 第7回
『坊ちゃん経営の挫折、BPR導入で社内混乱』

(2003年12月号)

 ここ1〜2年、大手企業による陰湿な「下請けいじめ」が激しくなっています。先日も、自動車関連部品の下請け工場を経営する知人が親企業から「ISOも取得できないところとは取引中止だ」と宣言され、途方に暮れていました。わずか10人の町工場に数百万円も掛けさせて取得させる必要性があるのでしょうか。
 また、公正取引委員会の調査資料には、親会社の値下げ要求を訴えたがゆえに、嫌がらせにも似た厳しい取引条件を突き付けられて廃業に追い込まれた町工場もあります。大企業の下請け整理の常套手段なのか、こんなことが平気でまかり通る世の中になっているようです。
 工作機械部品生産のS社もまた、親会社の中国進出のあおりを受け、20%にも及ぶ単価引下げ要求をのまされたのです。2代目社長のK氏とて常日頃、爪に火を灯すような改善努力を積み重ねてきました。しかし、単価の20%も値引きされては、どんな手立てを講じても「焼け石に水」であり、企業存亡の危機に追い込まれるのは火を見るより明らかでした。
 K氏は朝礼で100人の社員を前に「全員の給与20%カットか、20人の社員に辞めてもらうか、いずれかの方法を取らない限り我が社は持たない」と訴えたのです。その直後、腹を括ったK氏は間接要員20数人のリストラ案を役員会に提示し幹部からの対案を促がしても、誰一人として発言しようとはしませんでした。K氏は「暖簾に腕押し」の幹部に「君たち、我が社を背負って立つ者が何の意見もないのか!」と大声を上げたのです。
 K氏は大手商社に勤務し米国駐在のかたわら、ビジネススクールでMBA(経営修士号)を取得した優秀なビジネスマンでしたが、75歳の父親からの懇願で渋々ながらS社を引継ぎました。社長就任直後、ビジネススクールで学んだ「米国式経営」とあまりにかけ離れたS社の「下請け稼業」にしばし呆然としたといいます。ですから、下請けからの脱出を試みて自社の開発製品を担いで米国に売り込みをかけたり、新事業を起こしたりしてチャレンジしました。しかし、モノになったものは何一つなかったようです。

IT導入で再起を図ったが…

 S社は管理職をはじめ間接要員の3分の1近くを解雇しました。それでも、K氏は仕事のやり方が従来通りでは「一時的なリストラ効果で終わる」と危惧していました。勉強家の彼はセミナーや講演会に積極的に参加し「次の一手」を模索の末、IT(情報技術)の有効活用で自社の優位性を築く以外に道はないと確信します。さすがにビジネススクール仕込みだけあってS社の課題をものの見事に分析し、「あるべき姿」を描き出しました。
 さて、K氏はS社の業務改革とシステム再構築を着手するに当たり、笛吹けど踊らない幹部一同に「危急存亡にある我が社にとって、このプロジェクトは失敗を許されない!」と因果を含めたのです。重複業務の洗い出しにより、どれだけ無駄な仕事をしていたかを「業務フロー図」に示しながら「IT化により間違いなくコスト削減が可能になる」ことを全社員にも説明しました。彼の高々と掲げた「錦の御旗」とは似ても似つかない「もの言わぬ抵抗勢力」を相手に、脅したり透かしたりしながらの孤軍奮闘が始まりました。
 6カ月後、生産情報パッケージ・システムに合わせた業務改革の仕組みだけは完成しました。とはいえ、幹部たちの「俺のやり方」を変えさせるには至らず、その一部を試行したにすぎなかったのです。我慢に我慢を重ねてきたK氏はついに見切り発車を宣言しました。
 「来月から新システムに移行する。今のシステムとの並行稼働は認めない」
 社内は大混乱に陥りましたが、K氏は他人事のように素知らぬ振りをして経過を見つめるだけした。その後、ノイローゼ気味のK氏は父親に「大政奉還」を申し出たのです。
 いつの世にも次元の違う世界に飛び込んでも生き抜ける人と、いくら優れた能力があってもその任に耐えられない人はいるものです。K氏とて切った張ったの商社の世界で鍛えられた「つわもの」だったはずです。その男が中小企業の何たるかを承知して事業を引き受けながら、前途多難とはいえ途中で投げ出すとは許し難いことです。
 恐らく、おのれの思い入れの中に埋没し、周囲が見えなくなる了見の狭さが災いしたのでしょう。中小企業の経営者とは、そんな生ぬるい「坊ちゃん精神」では生き残れないのです。善きにつけ悪しきにつけ雑草のごとき逞しさがなければ、経営者の資格はないと言えます。

「洋才」だけを追い求めることの限界

 K氏にとってのBPR(業務改善のための再設計)とは、企業文化を破壊することができなければ本物ではないというものでした。確かに、幾多の企業がBPRに取り組みながら中半端な改革に終始してきた現実を見れば、理解できないことはないのですが…。
 しかし、その多くは明らかに米国式の論理に右へ倣えのやり方であったように思うのです。米国が世界の政治経済を制覇しようとも、各々の国家や民族のよって立つ歴史を否定し、はぐくまれてきた独自の文化まで破壊することはできません。
 ましてや、それを下敷きにして産業が構成され、企業が成り立っているとすれば、一国のやり方を盲目的に踏襲させるのは極めて危険なことです。MBAを取得したK氏もまた、「米国の知識」を「日本の知恵」に変換できなかったところに最大の悲劇があったと考えてはいけませんか。
 つまり、父親とその職人たちの頑固なまでの知恵や創意工夫こそが、S社に蓄積されてきた尊い企業文化であったはずです。企業再生の下敷きとは、この上に成り立っていることを片時も忘れてはならなかったのです。それにしても文明開化から140年。「和魂」は遠く彼方に置き忘れ、今もって「洋才」だけを追い求める愚かさから、もう卒業してもいいのではと思うのですが、いかかでしょうか。

オーパシステムエンジニアリング