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中小企業応援隊・失敗の学舎 第5回
『米国本社との軋轢(あつれき)生み日本型ERP導入できず』
(2003年10月号)
さしものT氏も2期にわたる業績悪化に、確固たる経営理念も揺らぎ始めてきました。それに追い討ちをかけたのが、極東支配人の揚げ足を取るような業務監査でした。
T氏は米大手通信機器メーカーの日本法人「J社」設立以来10年、代表取締役として景気の浮き沈みにかかわりなく業績を上げ、米国本社から経営手腕を高く評価されていました。5年前には、実績を認められて本社取締役に昇格しJ社の権限はT氏の手に委ねられ、思うがままの経営を任されてきたといわれています。
彼は社員に対して「信義を重んじチームワークに徹せよ」「米国本社の指示であろうとチームにとって不条理なものは断固として排除せよ」と、外資系企業では考えられない教育を徹底してきました。ですから、T氏は大半の社員から「本社と四つ相撲が取れる尊敬すべき社長」として慕われていたのです。
T氏の「郷に入っては郷に従え」というナショナリズムにも似た強烈な思い入れは、大いに社員との一体感を育みJ社をここまで発展させてきました。
極東支配人からは「やりたい放題やっている子会社は世界に1つもない」と、タップリ皮肉を込めた嫌味を言われたこともあったようです。
T氏は数社の「外資系雇われ社長」を経験し、欧米企業の長短所を知り尽くしていました。それでも「解任の恐怖」は脳裏から離れず、本社の顔色ばかりうかがい続けることに嫌気がさしていたころ、知り合いのヘッドハンターから「今よりも自由度が高い」との誘いに乗り、J社設立にかかわることになったのです。
その際、T氏はJ社の代表取締役を引き受けるに当たり「業績を必達させる代わりに、すべて日本的な経営で進める」という条件を本社に飲ませました。
T氏の半生は外資系企業勤めであり、「酸いも甘いも」知り尽くす得難い経験を積み上げてきました。それゆえ50の齢にして、はじめて自分の思いの丈を経営に反映させるため、「日本人の思考様式」を前面に押し出すビジネスを試みようとしたともいえます。
欧米型ERP導入の命令を拒否
さて、T氏の考え方が如実に表れたのは2001年、極東支配人から欧米型ERP(統合基幹業務システム)を現地法人に導入し「国際標準」として普及させるという通知を受けたときのことです。
J社では顧客情報データベースを核にした日本型ERPを構築していた最中であり、今さら何を言い出すのかと呆気にとられる思いがしたといいます。T氏は直ちに「現在、システムを再構築中である。それに欧米型ERPは日本にはなじまない」とはねつけたのです。
当時、J社の業績は順調に推移していたころでもあり極東支配人といえども、ゴリ押しできるような状況にはありませんでした。しかし、その2年後、業績のつまずきを逆手に取られたT氏は、手薬煉(てぐすね)引いて待っていた極東支配人から、とんでもない仕打ちを受けることになります。T氏自身、こんな事態に追い込まれようとは予想だにしなかったはずです。
10億円近い投資の結果、本社とJ社を双方向で結ぶネットワークを含めた「日本式ERP」を動かすまで、かれこれ1年半を要しました。
年商100億円前後の規模にしては大掛りな投資でしたが、T氏に言わせれば5年後の売上高300億円を見据えてのことだったそうです。
時あたかも、米国のIT(情報技術)バブルが弾け、電子関連産業は軒並み赤字に陥り一斉にリストラを始めた矢先でした。T氏の目論みは音を立てて崩れ、あっという間に2期続けて大幅な欠損を出してしまいました。しかし、8年間で積み上げた多額の内部留保のお陰で資金繰りに窮することはありませんでした。
極東支配人と衝突、解雇の憂き身に
ご多分に漏れず、米国本社でも膨張を続けたツケが一気に噴出し「幹部淘汰の嵐」が吹き荒れ、当然のようにCEO(最高経営責任者)は交替しました。
まもなく、運よく生き残った極東支配人の底意地悪い監査が始まりました。ほかでもない10億円のIT投資に対する責任を理由に、T氏の解任を「新CEO」への手土産にしようと企んでいたのです。T氏の解雇通知を知った10人の幹部たちは、極東支配人に辞表を叩き付けJ社を後にしました。
T氏は外資系企業にありながらあまりに「日本人」を主張し過ぎました。それが欧米型ERP導入を巡って極東支配人との軋轢を生み、遂に「江戸の敵を長崎で討つ」式に解任されてしまったのです。外資系企業の何たるかを熟知していたT氏にして、本社幹部との意思疎通の欠如と制約条件への妥協を拒んだことは大変な落ち度だったと言わざるを得ません。
確かに欧米型ERPを導入した企業で使いこなしているところは少なく、お国柄なり業態の特性まで欧米型に統一することは不可能なことです。
しかし、ビジネスがグローバル化していく世界の中で、共通したコンセプトを探し出し標準化を進めることは避けられない時代です。この流れを是認してこそ「日本標準」が主張でき、「世界の中の日本」として評価されるのです。
そこには、国籍や人種を超越した人間同士の固い絆が培われていることが前提であることは言うまでもありません。多岐にわたる国際的人脈の構築は私たちのビジネスの質を変えながら、日本の素晴らしさを世界にアピールすることにもつながってくるのです。また、お互いの文化を理解し合うことは、つまらぬ誤解を未然に防ぎ争いごとをなくす最大の防御策ともいえます。
1人でも多くの人々が「国際人としての教養」を身に付けるならば、友情に満ちた「情報」が世界を駆け巡ることになるでしょう。やがて、何物にも替え難いこの財産が、日本の現状打破を促がすことにもなってくるのではと思うのです。