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中小企業応援隊・失敗の学舎 第3回
『専務に怒鳴られた社長、システムは中途半端に』

(2003年8月号)

 「社長、ウチのような貧乏企業が大企業のまね事をして、立ち行くとでも思っているのですか!」
 F社の社長であるC氏は40歳ホヤホヤ。1年前に親会社から出向してきたのですが、どうにか「社長業」が様になり始めたころです。定例役員会で親会社のEDI(電子データ交換)システムの構築に伴う自社のIT(情報技術)再構築の必要性を説いていた時、いきなり生え抜きの専務から怒鳴りつけられたのです。
 将来を嘱望されていた新進気鋭のC氏にとって生まれてこの方、他人から大声で怒鳴られたことなど一度としてありませんでした。それだけに、その時に受けたショックたるや、想像に難くありません。
 ところで、F社は自動車産業草創期のころから精密鍛造工場としての業歴を持ち、技術力は業界から高く評価されていました。1990年前半までは順調な業績を上げ、その勢いを駆って中国への進出を果たしました。しかし、合弁相手とのトラブルがキッカケになり、3年余りで撤退のやむなきに至ったのです。これを境に資金繰りが悪化し、破綻寸前に追いこまれました。幸いなことに大口取引先であった大手自動車部品メーカーの支援で何とか危機から脱することができたのです。
 その後、資本傘下に組み込まれたF社には社長と財務担当役員が2期交代で出向して来るようになりました。つい最近まで、出向人事といえば、定年前の最後のサラリーマン生活をつつがなく過すための「お神輿社長」ばかりだったのです。ですから、勤務姿勢も「リスクを犯さない」ことを旨としてきました。そして、年間売上高約20億円の実績と150人の社員の生活は専務1人の双肩にかかっていたのです。
 やがて、自動車産業の低迷とともに部品メーカーの業績は悪化の一途をたどり始めました。そんな時、親会社で若手出世頭だったC氏に、F社の社長候補として白羽の矢が立ったのです。いくら優秀だとはいえ経営という未知の世界への挑戦であり、いささか不安におののきながらの社長就任だったと聞き及んでいます。
 それでも今まで出向してきた社長とは一味違いました。自ら陣頭に立って仕事をしようとする意欲だけは、F社の誰しもが認めるところでした。
 それから1年、多少なりともF社の実態が分かってきたC氏は、親会社が進めるEDIシステムの構築を自社の仕組みを変えるチャンスにしたいと考えたのです。F社には3年前にリースが完了した資材管理システムだけが、細々と事務所の片隅で動いているという状況でした。この際、親会社とのネットワークを含め思い切ったIT投資を進め、「F社を変える道具にしよう」と役員会に提案しました。

「明日の1000円より今日の100円」

 ところが、役員会では黙して語らなかった専務がやにわに大声で「明日の1000円より今日の100円が先決だ!」と言下に提案を否定したのです。
 この一言でC氏のIT構想はもろくも崩れ、今期の減価償却の範囲内でならという妥協案を引き出すのが精一杯でした。親会社との受発注ネットワークだけでも実現すれば、専務もその効用を理解してくれるのではと微かな期待を持ちつつ、何とも中途半端なシステム構築に着手したのです。
 見てくれだけはよくなりました。しかし、受注情報の入力から生産手配への展開までは自動化されたものの、それ以降の作業は相も変わらず人手を煩わせることには変わりありませんでした。
 専務も月末に集中する手作業に目をやりながら、「大変だなー」と声をかけていました。内心では赤字解消の目途さえつけばという思いもあったのでしょうか。
 C氏も一度は親会社に支援を頼もうと考えたようですが、期待を背負っての出向であれば弱みは見せたくなかったのかもしれません。親会社には一度も相談しなかったようです。おまけに、目先の業績を無視してまでIT投資に躍起になることは、愚策かもしれないとさえ考えるようになりました。専務の協力なしでF社は成立たないことを思い知った1年でもあったのです。
 C氏のF社変革のキッカケ作りはついえてしまいました。1年生社長として致し方ないとはいえ、「大企業の管理者」から抜け出せなかったことは惜しまれます。
 確かに、赤字を抱えた中小企業の立場からすれば専務のいう「今日の100円」も大切です。だからといって、現実の轍(わだち)の中に埋没してしまっては「明日はなくなる」のです。残念ながらC氏には「実力専務」をねじ伏せてでも初心を貫き通す確固たる自信はなかったのです。「世間知らず」の新米社長のやる気だけが先走った所産だったと言えましょう。

魅力乏しく、部下を掌握できず

 さて、F社の人々は今までの「お神輿社長」とは一味違う認識を持ったとはいえ、C氏が全力を傾注すべきは「専務たちとの肝胆合い照らす」人的構築であったはずです。いくら親会社の進めるEDI構築の尻馬に乗ったとしても、専務をはじめF社の人々とのきめ細かい接点がなければ絵に描いた餅で終わってしまうのです。
 往々にして「優れ者」といわれる人の中には、極めて人間的魅力の乏しい輩を見受けることがあります。他の資質がいかに優れていようと、ここが欠落していてはすべてが帳消しになるのです。
 世の中どんなに変わろうと、経営者に求められる最大の資質は「理屈では捉えようのない人間としての魅力」だといわれています。つまり企業の飽くなき変革は、経営者の全人格的な魅力を度外視してあり得ないということです。
 専務も、生え抜きとしてF社の歴史を垣間見てきただけに屈折したものを持っていたのでしょう。しかし、新米社長には「今日の100円」の尊さを説きつつ信頼する社員に夢を与えなければなりません。中途半端なIT投資を「明日のF社」のために進化させる懐の深さが求められるのです。
 こんな時代だからこそ「変化」に挑戦し続ける人々だけが生き残れるのです。

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