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中小企業応援隊・南出塾 第10回
『経営者と社員は同志である』

(2003年4月号)

 2003年、情報サービス産業が淘汰の波にさらされています。すでに4月以降の受注が半減しているところも出始めているとか。
 ご承知のように、この業界にはハイテクのモノづくりというよりも「人貸し業」でありながら、IT(情報技術)バブルのおかげで株式上場を果たし、数十億円もの創業者利益を懐にした人々が少なからず存在します。
 この様子を遠巻きに見ていた実業世界の経営者たちがウンザリしながら、「世の中、どこか狂っていないか?」とつぶやいたのも無理からぬ話です。
 つい数年前までは、中小企業のIT活用を促す官民挙げてのキャンペーンが功を奏し、多くの中小企業がIT投資をしてきました。ところがそれも束の間、その中小企業が過剰債務に追い込まれてきたのです。追い討ちをかけるように、銀行の有無を言わせぬ貸出金利の引き上げや貸し剥がし――。
 こうした状況では、企業のIT投資が急速に冷え込むのは当然であり、情報サービス産業だけが1人悠々と洞が峠を決め込むことなどあり得ないのです。

出向社長が業務改革の陣頭に

 さて、今月はIT投資に本腰を入れた矢先、赤字決算を理由にリース契約を拒否されて投資中断のやむなきに至ったY社の経緯をお話しましょう。
 Y社は携帯電話部品の生産で短期間のうちに業績を伸ばしてきましたが、海外企業との価格競争の影響で業績が急激に落ち込み、一昨年から2期連続の大幅赤字を出しました。大手電機メーカーから出向してきた社長のK氏は、人員整理という苦渋の選択に踏み切ったのです。
 しかし、仕事のやり方が従来のままだったため社員へのしわ寄せが大きく、士気は見る見るうちに低下しました。K氏は事態を乗り切ろうと業務改革とシステム再構築に乗り出したのですが、中小企業の社員たちだけでどこまでできるか、内心は不安だったようです。
 K氏はシステム開発会社になけなしの予算を提示しました。その結果、出てきた提案書は通り一遍のパッケージ・システムであり、間接工数の削減といった文言さえ見当らないものでした。
 「当社の実力からすれば致し方ない」と腹を据え、自ら業務改革の矢面に立つことを決意したのです。

自ら動き始めた社員たち

 生き残りを賭けた改革運動を始めてからほどなく、K氏が「頼りない社員たち」と思っていたなかから、とてつもない力を発揮する一群が現われました。その中心になったのは寡黙な職人肌の製造課長とY社生え抜きの仲間たちでした。
 誰が指示したわけでもないのに休日出勤もいとわず、自己流で調査・分析を始めたのです。「給料は減って貧しくなったけど、仕事は楽しい」。こんなことを口にする社員も出てきました。
 K氏は驚きと共に、思わず目頭が熱くなりました。「IT投資額がたとえ雀の涙でも、彼らとならどんな苦難も乗り越えられる!」――。30年に及ぶサラリーマン生活で、これほどの感動と自信を持ったことはただの1度もありませんでした。
 ところが、帳票を20%近く削減したのをはじめ、大幅な業務改革の目鼻がついたある日、リース会社が「貴社とは契約できない」と通告してきたのです。K氏にしてみれば、「2期連続の赤字を知ったうえで大丈夫だと言っておきながら、いまさらりん議が通らないと言われても…」と、途方に暮れるばかりでした。
 最後の手段として、出向元の電機メーカーに保証人になってもらえないかと頼み込みました。しかし、「自分で選んだ出向先であり、Y社だけを特別扱いはできない」と、素気なく断られてしまったのです。
 改革への道筋があれほどはっきり見えていながら、再生の基礎となるべきIT投資計画がついえたのです。K社長と共に改革に取り組んだ社員たちの思いと可能性は、いったい誰が評価してくれるというのでしょうか。

リストラの苦悩が原動力

 一般論になりますが、大企業から中小企業に出向した人は、長年にわたって慣れ親しんだ「大企業の文化」を引きずったまま転職します。そのため出向先に受け入れられずに、挫折するケースが少なくありません。自分で選んで出向したとはいえ、見事に変身したK氏の転機とは何だったのでしょうか。
 それは、明日は我が身と知りながら、社員をリストラしなければならない「人間としての痛み」だったはずです。その苦悩が彼を業務改革の先頭に立たせ、無能だと思い込んでいた社員を動かし、そして彼らから感動と自信を与えてもらいました。
 企業再生とは、高尚な経営理念でもなければ、手の込んだ方法論でもありません。経営者の熱い思いと、それを支える仲間たちとの同士的結合がすべてなのです。

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