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中小企業応援隊・南出塾 第8回
『有能の士はアジアへ逃げる』

(2003年2月号)

 長い間、私たちの社会では「何事につけ出すぎないこと」や「他人と歩調を合わせること」が美徳とされてきました。
 一方で、インターネットが普及の兆しを見せた1995年ごろ、その進歩は国家や社会のあり方に大きな変化をもたらし、従来型の集団主義や横並び意識は早晩、変革を迫られ、出ない杭は捨てられる「個の時代」が到来するといわれました。
 それから7年。私たちの周りに「個の時代にふさわしい」と実感できるものがどれだけあるでしょうか。
 多くの人々は果てなく続く閉塞感にさいなまれ、個の発露どころか「よって立つ心棒」さえ外されてしまったのではないかと思われる節が、各所に見え隠れしています。

1度でも失敗すれば終わり

 ところが、意気消沈する世の中にあっても強烈な「個の発露」を体現した、たくましき日本人もいるのです。
 事業に失敗し、仲間から「あいつは再起不能だ」とらく印を押されて、失意のうちに東南アジアを流浪。しかし現地の人々に支えられて見事、再起業を果たした1人の中年男をご紹介しないわけにはいきますまい。
 7年前、S氏が経営する通信ネットワーク開発企業は取り込み詐欺に遭って、S氏は数億円の負債を抱えたまま自己破産しました。銀行から自宅を取り上げられて、家庭はたちまち崩壊。妻子とも離別する悲劇に直面したのです。
 ホームレスになったS氏は、やむなく横浜の簡易宿泊所に身を寄せながら、日雇い仕事で生きるありさまでした。それでも当初は、かつて物心両面で面倒を見てきた仲間からの援助を期待していたようですが、誰一人として手を差し伸べようとはしなかったのです。
 彼はこのとき、「自己破産者を罪人扱いする世間」で生き抜くことの厳しさを嫌というほど味わったのです。この国でもはや起業できないと、腹をくくらざるを得なかったと思います。
 しかし、生と死のはざまでもがき苦しみながら、決して「再生への執念」を捨てませんでした。生活費を切り詰め、わずかにためた資金を懐に日本を後にしたのです。タイの地方都市を皮切りに東南アジア各地を流浪し、数年間は全く音信不通になっていたそうです。ときには「不法滞在者」として追い立てられ、国外追放されたこともあったと聞いています。

日本で捨てられアジアで救われる

 2000年、東京で開催された国際IT(情報技術)産業展を訪れたS氏のかつての仲間たちは、ネットワーク関連の展示ブースの前で一瞬、ドキッとする光景に出くわしました。なんと、そこに「自己破産者」のS氏がいるではありませんか!
 「よく来てくれたね。ここは僕のブースだ」。堂々とした応対に度肝を抜かれた仲間たちは、しばし言葉が出ませんでした。「よく生きていましたねー」「今、どこに住んでいるんですか」。S氏がこの場にいること自体、彼らにとっては全く信じ難い出来事だったのでしょう。
 S氏は流浪の末、マレーシアの華僑系企業に採用され、得意のネットワーク・ソフトの開発に携わりました。それをきっかけに、わずかな間で彼の技術力ばかりか人間性をも認められたのです。そして、華僑系オーナーは彼のために相当額を出資し、新ビジネスを立ち上げる支援をいといませんでした。「捨てる神あれば拾う神あり」とでもいうべきでしょうか。日本で捨てられ、アジアで救われたのです。

「村の掟」の言いなりになるな

 表向きはいくら新しい装いをしていても、「失敗を許さない」という日本人の精神構造は依然として変わっていないのです。「個」を認めるどころか、1度でも失敗すれば、再生の可能性があろうとなかろうと、生きることさえ認めないのが現実の社会です。
 例えば、ITサービス産業にしても外見とは裏腹に、その実態は昔の因習や商習慣を引きずったままです。はた目から見ると個人の能力や仕事の難易度を評価する高尚な世界だとお考えかもしれませんが、とんでもない。あたかも昔の工事現場の親分が仕切る「あてがい扶持」を押しいただくような稼業なのです。
 個を認め、失敗を糧に再生のチャンスを与える「懐の深い社会」を構築するためには、「群れ」をなす私たちの横並び行動こそが個の存在を無意識のうちに否定していることを認識しなければなりません。この認識こそ、「村だけの掟」が平然とまかり通っていることさえ気づかない人々に揺さぶりをかけることにつながってくるのです。
 「これはおかしい」と気づく者を1人でも増やせば、やがてこの国を疲弊させているものが何であるかが見えてくるはずです。そのとき初めて、本物の「意識構造変革」が始まるのです。早くしないと「有能の士」はドンドン日本を見限ってしまうでしょう。

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