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中小企業応援隊・南出塾 第7回
『社長の仕事は何ですか?』

(2003年1月号)

 「中小企業の経営者は、どこまで本気で自らを変えようとしているのだろうか」――。
 先月、あるフォーラムにおける講演者の一言に、我に返る思いがしました。経営者ばかりか、日本人全体が今のようなひどい状況に追い詰められていながら、「自己変革」どころか「怒りの行動」すら起こさないのはどうしたことでしょうか。
 欧米のある知日派ジャーナリストは、「見事に飼いならしたものだ。官僚の優れたコントロールのたまものであり、世界で類を見ない従順な民族だろう。私の国であれば、暴動が起きても不思議はない」と皮肉たっぷりに発言しています。なめるのもいい加減にしろと言いたいところですが、よくよく考えてみれば彼の指摘が的外れだとは一概に言い切れません。
 だって、そうでしょう。私たちは自国民が隣国に誘拐されて24年間、助け出すことすらできなかった腑抜けな政治家や官僚を養ってきてしまったのですから。

社長の番頭はコンピュータ

 さて、大上段に振りかぶって天下国家を論ずるつもりはありません。今回は「経営者の仕事とは何か」を考えさせる事例を紹介したいと思います。
 たたき上げのG氏は日用品容器の樹脂成形工場を経営して30年、かつては国税当局から「優良法人」として数回にわたって表彰されるほどの企業でした。
 ただ、彼は根っからの「一匹狼」であり、補佐役になるべき幹部社員を誰1人として育てようとはしなかったのです。創業当初から「夜討ち、朝駆け」で営業から調達まで1人でこなし、業界でも語り草になるほどの変わり者でした。
 そのG氏は情報システムに異常なほどの関心を持ち、受発注や在庫管理のパッケージソフトを20年も前に導入して自ら運用に当たっていました。簡単なサブシステムなら自分でも組めたようです。
 ですから、社員が帰宅した深夜になっても、日次の在庫や売り上げデータを入力し、細かくチェックするほどの徹底ぶりでした。社員からは「コマネズミ」というあだ名をつけられ、「社長の番頭はコンピュータ」と陰口をたたかれていました。彼にとって、情報システムこそ「唯一無二の忠臣」だったのかもしれません。

アウトソーシングも徹底できず

 ところが、さしものG氏も、このご時世に疲れ果ててしまったのでしょうか。60の齢(よわい)を過ぎた昨年、受発注や在庫管理など、自分の日常業務のほとんどすべてを、知人が経営する人材派遣会社にアウトソーシングすることに決めたのです。
 しかし、日常業務を手放したからといって、G氏は教科書通りの「社長業」に専念しようとした形跡はありませんでした。早朝から深夜まで、あらゆることを自分で決定することが習い性になった人間にとって、頭で社長業を理解していたとしても感覚的には順応できなかったのでしょう。
 G氏は「檻の中の熊」さながらの耐え難い生活に、6カ月で終止符を打ちました。受発注システムの業務手順を勝手に変えてしまう派遣社員に対し、たまりにたまった怒りをぶつけて、「俺のやり方を踏襲できないのなら契約を打ち切る!」と宣言してしまったのです。
 つい半年前まで1人でこなしてきた仕事に毎月数百万円もの業務委託費を支払い、おまけに自分の「生きがい」まで取り上げられてしまっては、釈然としないのも分からないではありません。すったもんだした揚げ句、派遣社員を1人減らしたうえ、受発注システムの業務手順を以前の姿に戻して、G氏自身が再びお守りすることで決着したのです。

「自分で決める」が経営者の原点

 読者の皆さんは「えっー」と驚くかもしれませんが、この世には「企業という名の商店」はあまたあるのです。いわば日本の産業を支えてきた原点ともいえます。
 孤高のG氏は人間不信ゆえに、創業時の商店主から企業経営者への進化が止まってしまったのでしょうか。いや、彼は当初から「企業経営者」など目指していませんでした。
 人に指示して仕事をするより、自分なりの考え方や方法で納得できる仕事をすることだけを考えていたのです。彼は意思決定から実行まで、自分自身でやることを選んだといえます。情報システムに異常なほどの関心を示し、20年前の使い勝手の悪い杓子定規なパッケージソフトを使いこなしてきたのも、そうした強烈な欲求のなせる業だったのです。
 ずらりとなつ印され、責任の所在が不明な「りん議書」がいまだに大手を振ってまかり通っている企業に比べれば、たとえ不完全であっても「1人の意思で全体をコントロールする」「不具合があれば直ちに方向転換する」というG氏の生き方を誰も非難できないはずです。
 なぜなら、そこには私たちが肝に銘じなければならないマネジメントの原理原則がうごめいているからです。

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