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シリコンバレーに学ぶ中小企業の生きる道 最終回
『IT活用は独立独歩、付和雷同を断て』
(2001年6月号)
「シリコンバレーからの現地報告」と大上段に振りかぶったものの、その核心に触れることは非常に難しく、やや消化不良のうちに最終回をまとめることになってしまいました。ただ、今回の取材で強く思い知らされたのは、「IT(情報技術)の活用」と「中小企業の自立」は切っても切り離せないものだということでした。
シリコンバレーの経営者たちは、自分の周囲で何が起ころうと安易に流されず、自らの価値基準で見極めようという意識を持っています。ITが必要と判断すれば頑固なまでにこだわり、たとえ知識がなくても容易に投げ出しません。
それに引き換え、私たちはなぜこうも「付和雷同」してしまうのでしょう。
日本人は新しいものに大変な好奇心を持ち、世界でも類い稀なフレキシビリティーのある民族です。しかし、中小企業は50年もの長きにわたって大企業の系列に組み込まれ、自主独立の精神を削がれてきました。系列からの「あてがい扶持」に満足するようになり、次第に主体性を失ってしまったのです。
そうした多くの中小企業にとっては、何が何だか訳が分からないうちに世界を挙げて「IT化、IT化」と騒ぎ出したのですから、面食らって当然かもしれません。
幸か不幸か、我々は改良主義という帳尻合わせは得意です。その結果、真に必要なものかどうかを明確にせず、消化不良のまま新しいものを受け入れてしまうのです。特にITにまつわることであれば、無条件で受け入れてしまう性癖があります。
氾濫するIT固有名詞
昨年連載した事例では「他人任せの情報化」や「単に流行に合わせただけの情報化」のあげく、ほとんど機能しないシステムを抱え込んでしまったケースをご報告しましたが、ここには経営者としての思い入れや企業戦略のかけらも見えません。「我が社の業務はシステムに載せられないのだ」などと簡単に諦めてしまう姿には、食らいついたら離さない執念が全く感じられないのです。残念でなりません。
この傾向の一端を如実に示しているのが、「IT固有名詞」の氾濫でしょう。我々はその概念がモノになるかならないかよりも目新しい言葉、それも横文字には、とてつもなく敏感なのです。最近ではCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)やASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)、SCM(サプライチェーン・マネジメント)など、挙げたらきりがないほど、固有名詞が次から次に現れては消えている状況です。これらをよくよく見れば、何も目新しいものではなく、今までのコンテンツをツギハギして「統合化」したものが大半であるにもかかわらずです。
言葉だけが先走るありさまは、情報サービス産業だけの際立った特徴なのでしょうか。この尻馬に乗って「見かけ倒しのIT有識者」が煽り立て、それに「自称先進的経営者」の一団が翻弄されています。彼らは当事者能力をも省みず、右往左往しながら最新のコンセプトに飛びつき、あたかも時代の先端を行っているような錯覚に陥って、とんでもない無駄金を投資してしまうのです。
本質を見抜く目
一方、私の限られたつきあいのなかですが、アメリカの中小企業経営者や管理職の多くは、ERPもSCMも何のことだか分からないと言います。
昨年出会った半導体部品メーカーの生産担当副社長もそうです。彼は堂々と胸を張って、「うちはMRPを10年以上も上手に使っている!」と言うのです。当然のことながらSCMが何であるかは正確には知りません。説明を求められ、一通り解説してあげると、「どうしてMRPが古くて、SCMとやらが新しいのか」と逆に問い詰められる始末。最後には「そんなものは少しも新しいコンセプトではない。トヨタのカンバン方式をシステム会社が化粧し直したに過ぎない」とまで言い切りました。
世の中にどれだけ新しいものが出てこようと、自社にとって使い勝手が良く、業績に十分寄与しているシステムならば、それが何年前のものであろうと関係ないという泰然自若とした態度は恐れ入ったものです。
日本の場合を想像してみて下さい。「我が社の情報システムは10年以上も前のものだ」と自信を持って答えられる企業はどれほどあるでしょうか。大方の経営者は恥ずかしくて、そんなことはおくびにも出せないはずです。それは常に同業他社を見わたしながら、横並びで生きてきた経営者には耐え難いことなのです。
私は古いシステムを使い続けろと言いたいわけではありません。中堅・中小企業が生き残るためには、ITを避けて通ることは不可能です。しかし、上っ面の知識や横並び意識だけで情報化投資をするくらいなら、古いシステムに磨きをかけるほうがはるかにマシだとも思います。
「IT武装した町工場」を目指せ
2000年末からアメリカの景気は急速に悪化し、シリコンバレーにある私の知り合いのベンチャー企業も、数社が消滅してしまいました。最近の情報によると、一世を風靡するかに見えたSCMも、そのコンセプトとは裏腹にとんでもない在庫の山を築いてしまい、システム会社と顧客企業の間で責任の所在をめぐって大揉めに揉めているそうです。ASPに至ってはほとんどが売り物にならず、今や風前の灯火になっているとか。
しかし、このような状況にあっても、市場から退場する企業より入場を待ち構えている「スモール・ビジネス」のほうが多いとは、彼らの持つフロンティア精神のなせるわざなのでしょうか。何ともうらやましい限りです。
一方、私たちは、浮き草にも似た迎合主義では立ち行かないところまで来てしまいました。再生のためには、過去の付和雷同や横並び意識と決別しなければなりません。IT固有名詞に翻弄される前に、自らの主体性を確立するという不退転の決意がなければ、再び世界の人々に評価されることはないのです。
かつて、この国の歴史が育んだ「職人文化」は、当時の欧米先進国から驚異と感嘆の眼差しをもって評価されました。たゆまない自己研鑚と本質を見抜く目、頑固なまでのこだわりが、創造性溢れた「匠の世界」を築き上げてきたのです。これが産業近代化の礎となり、世界に冠たる工業立国を構築した事実を思い起こしてください。
忘れ去られようとしている匠の世界を引き継いできたのが「町工場」です。彼らのこだわりを、我々は改めて評価しなければなりません。そのたくましさや粘り、融通無碍(ゆうずうむげ)な技術力に、ITと情報ネットワークが絡み合ったときに、初めて私たちは「日本流のIT活用」を実現できるのではないでしょうか。