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シリコンバレーに学ぶ中小企業の生きる道 第2回
『裸一貫で創業、自ら夜学でIT学ぶ』
(2001年2月号)
2000年の1月、シリコンバレーの知人に紹介されたM社長は、ある種のアメリカン・ドリームを体現した1人だと言っていいかもしれません。まだアメリカの産業が低迷していた80年代後半に、道路掃除夫で日銭を蓄えた彼は、私たちが味わったこともないような厳しい環境にありながら、新しいチャレンジを続けてきました。そして、遂に大手コンピュータ・メーカーとの取引に成功したのです。
M社長を支えたのは、生きていくために必要なら、触ったこともないコンピュータにも臆せず立ち向かって行く凄まじさです。そのバイタリティは一言で言い表すことはできません。
日本の中小企業経営者のなかに、これほど逞しいチャレンジ精神を持っている人が果たして何人いるだろうか。私はM社長の話を聞いたあと、そう思わずにはいられませんでした。
「貧しさからの脱出」が原動力
「えらく高い買い物をしてしまった。当社の統合情報システムは何度直しても駄目なんだ! 日本から来たのなら、あなたにコンサルティングを頼みたいよ」。
本気とも冗談ともつかないM社長との挨拶は、こんなところから始まりました。M社長が経営するA社は、コンピュータ用バッテリーの在庫管理とその組み付け・試験を手がける中小企業で、従業員50人を抱える急成長企業です。
メキシコ系のM社長がA社を創業したのは1989年。当初は、トラック1台で道路清掃時のゴミを搬送する下請け業者として、わずかな手間賃をもらうことを生業としていました。
当時のシリコンバレーはご多分に漏れず、アメリカ産業が零落するまっただなかにあり、誰しもその状況にもがき苦しんでいました。ましてマイノリティーである彼は、働きたくても仕事場を与えてもらえず、親子5人は苦悩の日々を送っていたようです。
3年後の92年、M社長の爪に火を灯すような努力が実り、大手コンピュータ・メーカーから仕事を請け負うことができたのです。それがコンピュータ用バッテリーの在庫管理でした。取引企業からの指示で工場へ搬送する業務も含まれています。いよいよ本当の物流業としての看板を掲げることになったのです。
ようやくアメリカ経済再生の兆しが見え、この地域の半導体やコンピュータ産業も活気が出てきた時期です。
背水の陣に奮起
しかし、開業準備にメドが立ったころ、難題が持ち上がりました。コンピュータ・メーカーから、在庫情報をリアルタイムで把握できるようにしてほしいという指示が来たのです。当然、コンピュータによる管理が必要です。
M社長にとっては大変な問題でした。彼はコンピュータの「コの字」も知りません。しかし、これをクリアしなければ、せっかく獲得したビジネスが元の木阿弥になってしまうのです。さりとて、情報システム専門の人間を雇うほどの余裕などありません。すべて自分で運用しなければならなかったのです。M社長はどうにか英語は話せましたが、IT(情報技術)用語は分かるはずもありません。
幸い、サンノゼ市とNPO(非営利組織)による「IT講習会」が地域ごとに開かれるようになっていました。M社長は早速、夜間の部に申し込みました。大の大人が、子供たちに混じって基礎から勉強しようというのです。
さらに、講習会が始まる前に少しでも基礎を学んでおくつもりで入門書を手に入れました。ところが、入門書といえども素人のM社長にとっては内容が高度で、いくら読んでも意味を理解できなかったのです。
「自分と家族の生活がコンピュータ・システムの活用にかかっている。何としても、この障害を突破しなければならない」。悩みに悩んだM社長は意を決して、取引先のコンピュータ・メーカのS氏に相談を持ちかけました。
「案ずるより生むがやすし」というのは、このことを言うのでしょうか。「明日の夜から、私の家で教えてあげよう」と言うS氏の暖かい言葉に、M社長は思わず大声で泣き出してしまったそうです。
M社長の学習意欲は並たいていのものではありませんでした。S氏の自宅のパソコンを2週間目にして使いこなし、簡単な作表や並べ替えをできるまでになったのです。これにはS氏も畏敬の眼差しで、「君には恐れ入ったよ!」と言うほかありませんでした。
「IT講習会」の夜間コースでは、応用課程を選ぶことにしました。そして1カ月後の研修終了時にはただ1人、研修責任者から最優秀賞をもらったのです。
M社長は、その年の暮れに正式にA社を法人化しました。社名の「A」は、メキシコの国花にちなんだものです。社員は奥さんと仲間1名。オフィスは倉庫の一角を衝立で仕切っただけでしたが、彼のデスクの上にはS氏から開業祝いに贈られたパソコンが大事に置かれていました。もちろん、すぐネットワークに接続できる状態でした。A社の躍進がここから始まったのです。
動かない日本の中小企業経営者
たしかに、アメリカは厳しい社会だと思います。経営者の期待にこたえられなければ、社員はいつ解雇されるか分かりません。取引先からの要求レベルに達しなければ、即座に取引を切られます。だからこそ、経営者も社員も必死に努力するのでしょう。
同時に、努力する者に手を差し伸べる個人の善意があるのです。M社長を支えたS氏の暖かい行為は、その代表的なものでしょう。さらに、情報弱者をサポートするNPO活動も、日本とは比べものにならないほどの規模と内容を誇っています。
ひるがえって、日本ではどうでしょう。得意先から「インターネットを使えることが取引の条件だ」と言われたら、中小企業の経営者は必死になってコンピュータを学ぶでしょうか。
そんな時代が、すでに目の前まで来ているのに、「ITは単なる道具。俺は使わなくてもやっていける」と公言してはばからない人々が、あまりに多く存在します。このことに危機感を持っているのは、私だけでしょうか。
確かに、「道具」であることには間違いありません。しかし、「単なる道具」ではないのです。世の中の構造を変革してしまうほどの力を持っているのです。
日本でもようやく国を上げてITへの取り組みが始まりますが、これを成功させるには、「日常生活に自然に溶け込むIT」をいかに実現するかがカギです。しかし、現状は残念ながら、体裁を整えているだけのように見えます。官民ともに抜本的な変革を避ける意識は変わっていないし、ITを新しい社会の構築にフル活用しようという積極性も感じられません。M社長のように、追い詰められなければ本気になれないということかもしれません。しかし、そのときまで世界が待っていてくれるでしょうか。