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失敗に学ぶ中小企業の生きる道 第6回
『「変化」求めずして何の進歩もない』

(2000年6月号)

 「ハードウエアは入れ替えるが、ソフトウエアは今までと寸分違わぬようにしてほしい」――。
 皆さんは奇異に思われるかもしれませんが、時代の変化に対応することを嫌い、いまだに15年前に作った情報システムを後生大事に維持している企業があることをご存知でしょうか。
 70年の歴史を誇る印刷会社のF社は、主に旧公社の下請企業として成長してきました。この実績に加え、多色刷りの得意技術を持っていたため、行政機関との契約がかなり多かったようです。民間企業からの受注額は全体の10%以下でした。
 「指示された通りの価格と品質、納期を守り、余計なことは一切しない」というのが“取引の掟”になっていたせいでしょうか、社風までが硬直的で変化を嫌うものになっていました。時代の潮流はこうした古い体質を許さなくなってきましたが、長年の間に染みついた慣習がおいそれと変わろうはずもありません。しかも、幹部の大半は旧公社からの「天下り」ときていますから、なおさらです。

15年前のシステムをコピーする?

 F社の情報システムはすべてバッチ処理で、受発注の管理機能と得意先への月次実績報告の作成機能で構成されていました。リースアップを契機に、ハードの更新を決定したのは98年のことです。システム・ベンダー3社からの見積もりを比較し、P社に発注することになりました。
 何事にも形式を重んじるF社らしく、「早速、社長を同道して挨拶に来るように」と連絡があったので、P社の社長と営業責任者は渋々ながら駆けつけました。すると「当社は官需が専門だから、万が一にも遺漏があってはならない。そのつもりで対応してもらいたい」と言うのです。P社側は「今時、こんな古くさい企業があるのか」と驚かされました。
 さらにF社の電算室長から、SE(システム・エンジニア)の選定について細かい注文がありましたが、通り一遍の返事で済ませてしまいました。当時のP社はコンピュータの西暦2000年問題で受注案件が急増したために、猫の手も借りたいほどの忙しさだったからです。
 SEは1人で2〜3社の開発案件を抱えており、とりあえず最も負荷の少ないSEに仕事を割り振るしかないという状況でした。“10年選手”のベテランSEをF社の担当にできたのは幸運だったと言えるでしょう。
 ところが、その1カ月後のことです。F社担当のベテランSEがセピア色をした古いシステム仕様書を持ち帰るなり、「営業はもう少し顧客を見極めてくれないと、こっちがやってられないよ!」と言うのです。彼の投げやりな態度を見て、明らかに戦意をなくしていることがわかりました。
 原因は、F社の総務部長から聞いた開発方針でした。「当社の現在のシステムはお客様から高く評価されている。もし新たな仕組みを採り入れて混乱するようなことがあれば、大変なことになる。今まで通りの仕様にしてほしい。経営トップもそれを望んでいる」と言うのです。
 おまけに、電算室長は開発言語に2世代も前のCOBOLを指定しているとのこと。何よりも「変えないこと」が最優先のようでした。
 確かに、現在の仕様を新しいハードにコピーするだけなら、ベテランSEのやる仕事ではなさそうです。とはいえ、今さら別の人間に割り振るような人的余裕はなく、ふくれっ面のSEを騙しだまし使うしかありません。

担当者の交代が裏目に

 それから数日おいて、今度はF社から呼び出しがかかってきました。営業責任者が行ってみると、「あらかじめSEの人選には配慮するように言っておいたのに、彼は実に無礼な奴だ!直ちに交代させよ。それができなければ発注を取り消す」という激しい叱責を受けたのです。
 当のSEに確認すると、どうやら「15年も昔のシステムを後生大事にしたいのなら、新しいコンピュータなんか使う必要はない。むしろ手書きでやったほうがいいくらいだ」などと暴言を吐いたようです。掲げ句の果てに「前例通りのシステム構築なんかやりたくねえよ!」とまで言い放ったのです。
 もう少し言いようはあったのでしょうが、職人気質とでもいいましょうか。営業責任者は顔面蒼白。再びF社に吹っ飛んで行きました。が、内心ではこの仕事はキャンセルになってくれればいいと念じていたのです。
 残念ながらその願いは叶いませんでした。「F社の指示に従う極力おとなしい者に交代させる」ということで一件落着です。人手が足りないところにSEの入れ替えを要求されたわけです。苦肉の策として経験2年のプログラマーを窓口にし、ベテランSEは「後見人」としてバックアップさせることにしました。
 F社は新米プログラマーを相手に「乗せ変えるだけのシステム」の構築に入ることになりました。しかし、15年前の仕様書から一体何がわかるでしょうか。
 言語変換ツールを使ってプログラムを移行させることになったのですが、半分程度しか移行できませんでした。残りの部分は入力画面や出力資料から類推してプログラムを再設計するしかありません。案の定、駆け出しのエンジニアにはとても手に負える仕事ではありませんでした。
 納期は刻々と迫ってきます。いよいよ浮き足立った電算室長はワラをもつかむ思いで、出入り禁止にしたベテランSEに出馬を懇願する羽目になりました。しかし、担当を外されたおかげで清々していた当人は「はい、そうですか」と取り組む気など更々ありません。すったもんだの掲げ句、新システムが動き出したのはそれから6カ月後のことでした。

表面的には失敗ではないが…

 ハードを更新したため、処理速度は数倍に上がりました。F社の総務部長は満足げな面持ちで試験稼働に立ち会いました。「ご苦労さん会」の誘いもあり、P社の関係者一同はそろってお招きにあずかった次第です。システム・ベンダーにとっては実に「おいしい仕事」でした。
 確かに、今回の事例は「失敗に学ぶ」というほどの失敗は表向きにはありません。失敗しないがために、既存のシステムをコピーしたのですから当然です。その代わり、何ひとつとして進歩は生まれず、ベンダー側には非常に後味の悪い思いが残りました。
 世はまさにインターネット時代。情報技術はどんどん進歩しているのにもかかわらず、「新しい皮袋に15年前の酒を入れてしまった」という後ろめたさは救いようがありません。
 それなのに、肝心の当事者たちには不安もなければ焦りもないのです。まさに歯痒いばかりですが、私たちの周りには、F社に生き写しのような企業が数え切れないほど存在しているのです。

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