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失敗に学ぶ中小企業の生きる道 第5回
『社内抗争に発展した若手社長の情報化策』
(2000年5月号)
徹底した情報化を武器に、創業100年の企業文化を変えようと奮闘した5代目経営者の挫折―。それは、変化を嫌う先代時代からの大番頭に対する妥協から始まりました。
これがきっかけになり、ついには社内抗争にまで発展。当事者間では収拾の着かない泥沼状態に陥ってしまったのです。
東京の中心地に本社を構えていたE社は創業以来、堅実な経営方針で幾多の苦難を乗り越えてきた老舗のベアリング部品メーカーでした。関東、関西の2つの工場と全国各地に10の営業所を持構えていましたが、情報システムはそれぞれが単独で運用するという旧態依然としたものでした。
5代目社長のT氏は、13年前に米国の大学を卒業。3年前に父親の跡を継ぐまで、大手商社で情報・通信ビジネスを手掛けてきました。しかし、そんなやり手のT氏でも、長い歴史を誇るE社では思うように物事を進められずにいました。ワンポイント・リリーフを狙っていた大番頭の専務をはじめ、先代社長から引き継いだ幹部による反対や抵抗に、ホトホト手を焼いていたようです。
たった1つの妥協が災いの元
さて、E社の情報化レベルは同業他社から見ても時代遅れで、若手社員からは「今どき、電子メールもない会社なんかないよ」という嘆き節が聞こえていました。T氏が「社内改革の時期到来!」と決意したのも当然です。
早速、本社と各工場の若手社員を中心に情報化推進プロジェクトチームを編成すべく、準備に取りかかりました。チームを発足させるには常務会の決裁を得なければなりません。
ところが、常務会では結論を得られませんでした。「結構なことですが、人選には十分にご配慮を…」という専務の一言で、結論は翌月に持ち越されました。専務は、T氏から事前に一言の相談もなかったことに気を悪くしたようです。
敏感にそれを感じたT氏は、すぐに専務と2人だけの話し合いを持ちました。1日も早く情報化を推進するには専務との妥協が避けられないと考え、メンバーの人選も専務に一任しました。後から考えれば、これが失敗の元だったのですが…。
チームリーダーには専務のお声掛かりで総務部長が任命され、いよいよ情報化プロジェクトがスタートしました。古参社員中心のメンバー構成にT氏は不安を感じました。しかし、「人選は一任する」と言ってしまった以上、専務案を飲まざるを得ません。
チームはすぐに部門ごとの業務の洗い出しと分析に取りかかりましたが、T氏には進ちょく状況をほとんど報告しませんでした。専務に主導権を握られ、自分が考える「変革への道」とは程遠い結果になりはしないかと、T氏はイライラが募る一方でした。
理想を追い過ぎた若社長
そんな時期に、ある若手のチームメンバーから「総務部長は現状の業務を変えることなど全く考えていない」という情報を耳にしたのです。T氏はもはや躊躇している場合ではないと判断しました。初めて「社長権限」を行使して緊急常務会を召集。まなじりを決したT氏は怒りを爆発させました。「なぜ情報化を進めなければならないのか、あなたたちは何もわかっていない!」。
さすがの専務もこの剣幕には一瞬タジタジとなりました。人事を一任されたことを盾に居直りましたが、T氏は問答無用で、自分が直接指揮を執ることを宣言したのです。
すぐさま若手社員だけの新チームを編成し、システム・ベンダーも再検討。さらに、商社時代の後輩を個人的な外部ブレーンに起用しました。
事態のあまりの急変ぶりに、社内には動揺する向きもありましたが、「若社長」の奮戦に期待する人々がいたことは事実です。しかし、情報化案が具体的になるに従い、当初考えていた以上に“歴史の重み”があちこちで障害となって現れてくるありさまには、若手の改革派もしばしば立ち往生することなります。
一方、専務たちは実務に精通したベテランぞろいでしたが、全く協力しようとせず、陰ではプロジェクトの失敗を期待しているかのような言動を続けました。
紆余曲折の末、第1段階として統合受発注管理システムを本社と工場、各営業所間で接続することになったのですが、新システムが稼動した途端、現場のあちこちからブーイングが起こりました。
「例外的な処理ができない」「現場で必要な情報が抜けている」。挙句の果てには「このシステムは大企業向けだ。中小企業では運用できない」という声まで上がったのです。
当然、常務会では激しいやり取りがありました。「社長は当社のことをあまりご存知なかったようですな」と攻める専務に対し、T氏は「情報化は社内改革の尖兵。トライ・アンド・エラーはつきものだ」と切り返します。
新旧世代の対立を収拾するには
際限のない非難合戦は、E社を2分する社内抗争にまで発展。T氏の父親である前社長が、両者の調停に乗り出さざるを得なくなりました。
どうにか喧嘩両成敗で解決しましたが、情報システムの実証稼動も5カ月間ストップしたまま。業務に精通した幹部を改めてチームに加え、「身の丈に合った無難なシステム」を構築することになりました。
なぜE社の情報化はここまで紛糾してしまったのでしょうか。5代目社長を継承したT氏の若さ・先進性と、専務の伝統・現状維持の姿勢が衝突したわけですが、新旧世代が情報化をめぐって対立するのはよくあることです。
それを収拾できなかったT氏の敗因は、次の5点です。
専務と徹底的に議論して、自社の現状認識と将来展望を共有化する努力を怠った。
理想と現実の落差を受け入れられず、理想を追い過ぎた。
先代社長時代からの幹部社員に対して、能力を過小評価していた。
経験の浅い若手社員の力を買いかぶった。
自社の歴史や事情に精通した信頼すべきブレーンを持たなかった。
一般に、歴史のある企業ほど現状維持を尊ぶ社風が生じるものです。これを払拭するのは容易ではありません。T氏は「社内改革ののろし」を上げる前に、専務への「大いなる根回し」に努力し、専務を改革に巻き込むべきだったのです。2人が一致協力すればプロジェクトチームの人選も変わったはずで、結果的に若手と古参社員双方の特性をうまく引き出せたことでしょう。
すべての根底には、5代目社長としての実力を専務たちに示したいというT氏の焦りがあったようにも思います。それにつけても、情報化以前に、事業継承における戦略がいかに大切かを思い知らされる事例といえましょう。